八月廿五日(土)己丑(舊七月十五日) 晴、暑い

 

昨日は疲れて横になつてゐましたが、今日はからだが輕いので、神保町と高圓寺の古本市をはしごしてきました。 

さうしたら、今まで見かけたこともなかつたのに、廣瀨淡窓先生關係の本が三册も目につきました! 『敎聖・廣瀨淡窓の研究』 と 『西國筋郡代と廣瀨淡窓』、それと 『廣瀨家一門の光彩─淡窓先生を中心として─』 です。三册目は册子で二百圓だつたので買つてみました。けれど、儒學でせう? 難しさうです。

 

それにしても、江戸時代の知識人や思想家は、代々積み重ねられた知の集積とでもいふのでせうか、幼いときからたたきこまれた敎へを素養や敎養として、出るべくして世に出たのだなあと思ひます。一般庶民にしても同じことが言へるでせう。

 

それにくらべると今日のぼくたちの精神生活は、よれよれの紙つぺらみたいなものです。親から子へ、子から孫へといふ知識、敎養や技術、生活の知恵といつたものがすべて途絶えやうとしてゐるのです。それで、繼承しなかつたのか、できなかつたのか、核家族と呼ばれる次の世代がそれぞれはじめからそれらを修得していかなければならない事態に陷つてゐるのであります。傳統文化・敎養がいまや途絶えて繼承がない。さまざまな情報によつて補ふことは不可能ではありませんが、これはあまりにも不經。野生のサルにも劣る愚かなありさまではないかと思ふのであります。

 

それでも、氣持ちを新たに、歸宅してから、くづし字修得のために古本市で求めておいた、和本を取り出して見ました。すると、貝原益軒の 『家道訓』 や 『冥加訓』、三浦梅園の 『梅園叢書』、手島堵庵の 『爲學玉箒』 やらが見つかり、それぞれの代表的著作などよりもずつとやさしさうなので、知の集積を少しでも獲得するために讀んでみようと思ひます。

 

今日は、灼熱の街路を避けて歩きましたが、それで、四七七〇歩でした。 

歸宅したら、妻から、尾池さんのおばさんが昨日亡くなられた知らされました。 

 

今日の寫眞・・・高圓寺の阿波踊り、その驛前の準備風景。夕方五時からの開催でしたので、見ずに歸つてきました。