五月十五日(火)丁未(舊四月朔日・朔) 

 

今日も寢ころんで讀書。山田風太郎著 『婆沙羅』 を讀み終へました。十七年前に讀んだことはすべて忘れてしまひましたが、先日取り組んだ南北朝時代の歴史との對比ができて、より理解が深まつたことは確かであります。 

特に、風太郎先生獨自の視點から描かれた佐々木道譽の破天荒な生き方は、北方版  『道譽なり』 とは一味もふた味もことなり、極彩色に彩られてをります。 

それと、北方版にも出てきた、道譽お氣に入りの藝能人たちのうちの、一忠とか犬王とかが、觀阿彌とともに實在の人物であり、しかも、觀阿彌の子の世阿彌が、足利義滿とともに藝を完成させたやうなことが描かれてをりまして、ほんとかどうか、興味がわきました。 

 

それから、山本淳子先生の 『枕草子のたくらみ』 を讀み進みました。「第四章 貴公子伊周」に入つたのはいいですが、讀むべき本文の章段が九段におよび、その原文を讀むのに苦勞してゐるところです。例へば、三つ目の、第二六〇段(能因本二五六段)「関白殿、二月二十一日に」なんて、くづし字で二十六頁もありますから、それを讀み通すだけでも、もちろん内容を理解しつつですので、時間がかかります。 

けれども、その九つの本文は、「時系列に從って並べ直し」、それによつて、『枕草子』 の描く伊周の姿を見渡してみたい」といふのですから、内容的にも前後につながつてゐますので、斷片的に讀むよりはずつと面白く讀めます。 

同様に、「季節に寄せる思い」とか、「女房という生き方」、「政変の中で」、「人生の真実」などのテーマごとに讀めるので、先が樂しみです。 

ところで、中宮定子の兄と弟である伊周と隆家は、道長や紫式部を讀んできた感想から言へば、とんでもなく愚かな息子たちなんですが、父の關白道隆一族の文化サロンには缺かせない人物のやうです。ですから、前言を訂正して、「華麗なるお坊ちゃま」と呼んでおきませう。

 

といふわけで、『枕草子』 は、はじめから讀み通すより、あるテーマごとに讀んだはうが、より理解が深まるのではないかと思ひました。まだ、その途中ですが。 

まあ、『源氏物語』 はさうはいかないでせう。せめて、《玉蔓系後記説》 をふまへたうへで、讀み通したいです。乞うご期待。