二月十七(土)庚辰(舊正月二日 晴のち曇り、一時小雨で風が寒い

 

今朝、妻には寄るところがあると言つて、歩いて家を出ました。向かつた先は、堀切橋を渡つた東武鐵道の堀切驛。そこが 〈東京散歩十九〉 の起だつたからです。今日のこのコースは、以前淺草まで歩いた道とだいたい重なるのですが、だからといつて飛ばすわけにはいきません。 

ガイドブックにはかうあります。コース名と内容─「七福神めぐり 隅田川七福神 堀切駅~浅草駅 墨田区の隅田川沿いの東岸を歩き、七福神をめぐる。向島七福神ともよばれるのは、江戸時代に向島百花園主の所有する福禄寿に目を向け、七福神を設定したから。〔所要〕3・5時間」。 

以前歩いたと言ひましたが、そのときは七福神などには無關心でしたので、今回はガイドブックに從つて訪ね歩いてみたいと思ひます。

 

東武鐵道の堀切驛については、『菅原道眞紀行』 の冒頭でも書きましたが、明治四十四年着工・昭和五年に完成した荒川放水路の開削によつてこの地が分斷されたために、右岸にわづかに堀切の驛名が殘るのみで、堀切の地名は左岸の我が「堀切菖蒲園」のある側が受け繼いでをります。堀切驛の住所は足立區千住曙町であります。 

ちなみに、隅田川は元は荒川の下流部でありまして、放水路完成によつて、その分岐點である岩淵水門から下流をさしますが、しかしまた、一般的にはこれから歩こうといふ鐘淵あたりからを隅田川といひます。それと、今日のゴールでもある吾妻橋から下流を、かつては大川と呼んでゐました。 

 

堀切驛スタート、一一時三〇分。驛前から舊綾瀨川にかかる陸橋(?)を渡ると、ものの數歩で墨田區に入りました。そして、舊綾瀨川が注ぎ込む隅田川の對岸は荒川區です。 

その手前を左折して進むと、最初の七福神である「毘沙門天・多聞寺」が見えてきました。しかし、入口は反對側でしたので、ぐるりと半周しなければなりませんでしたが、その前に立つたとき、ここは以前歩いたときには素通りしたお寺であることがわかりました。そのときは氣づきもしませんでしたが、山門が茅葺きなんでが、實に見事です。開放的な雰圍氣で、トイレを使ひながらしばらく休憩。あれ、「映画人ノ墓碑」なんていふのがありました。 

(註一・・多聞寺の本尊は、隅田川七福神の一つにもなっている毘沙門天、茅葺の山門は区内最古の現存建造物で墨田区の指定文化財です。その他創建にまつわる妖怪狸を供養した狸塚や、東京大空襲で被災した浅草国際劇場の鉄骨などの文化財を有しています)

 

ふたたび半周してもどり、墨堤通りを渡ると、隅田川に、といふより高速6號向島線に沿つて南北に細長い東白鬚公園の北の端に入り、ここから南の端までたどりました。途中、木母寺と隅田川神社にも立ち寄りましたが、木母寺の境内には興味深い石碑がたくさんありました。 

とくに、「三遊塚」なんてのは、三遊亭圓朝が先師初代圓生追福のために、明治二十二年に建てた碑で、題字は山岡鐵舟、銘文は高橋泥舟の書だといふのですからご立派です。 

それと、墓とも言へない無氣味な碑がありましたが、なんなんでせう? (つづく) 

 

今日の寫眞・・堀切橋から堀切驛を望む。左手の高速向島線の下に沿つて舊綾瀬川が隅田川に流れ込んでゐる。多聞寺山門と、空襲で被災した淺草國際劇場の鐵骨。木母寺とその境内の「三遊塚」と無氣味な墓?