二月十一日(日)甲戌(舊十二月廿六日 曇りのち晴

 

今日の讀書・・今日も一日、『源氏物語』 の〈賢木〉の卷を讀みつづけ、「靑表紙本」で一〇〇頁を越えました。あと三〇頁たらずです。 

生意氣なやうですが、「靑表紙本」のくづし字にもだいぶ慣れてきたやうで、文字を讀むには、これが活字であつても變はらないだらうなと思ふ程度まで讀めるやうになつてきました。といふのも、活字でも、意味をつかむにはすらすらとはいかず、結局行きつ戻りつ解釋しながら讀み進むしかないからであります。 

くづし字には魔力があるのでせうか。文字を見ただけで讀んで解讀したくなるのです。活字本だと、物語の流れが理解されれば讀み進んでいかれまして、そのために細部は素通りといふことにもなりますが、くづし字は、「眼光紙背に徹す」なんていふことばがあるやうに、「文章の言外に含まれた意義」を探りたくなる、微細な描寫を味はふにはもつてこいでありまして、そんな魅力にあふれてゐる、とぼくは思ふのであります。そのやうな意味では、『源氏物語』 はくづし字本で讀むに限る、なんて勝手なことを言はせていただきませう。

 

それで、〈賢木〉の卷ですが、桐壺院の一周忌をすますやいなや、たうとう藤壺が出家いたしました。まあ、出家する以外に源氏の誘惑といふか、ちよつかいを避ける手だてがなかつたからですが、さすがに春宮との別れ、のちの冷泉帝で、源氏との不倫の子のもとを去らなければならない場面はしんみりとさせられます。 

 

今日の寫眞・・爪をかみ切つてゐるココ。ぼくが切つてあげられないせいか、自分で引きちぎつてゐます! それと遊びに來たノラ。妻が榮養のある食事を與へてゐるので、我が家の回りのノラはみなまるまるとしてゐます。