二月十日(土)癸酉(舊十二月廿五日 晴のち曇り

 

今日の讀書・・なんだ、今日も晴でした。と、がつかりしても後の祭り。疲れてゐたのか、起きたのはお晝。午後は、昨日の記録を書き、「靑表紙本」で讀む〈賢木〉の卷をほんの少し讀み進んだだけでした。 

 

今日の寫眞・・今日の切り抜きと昨日の散歩のつづきを數枚。 

今日の切り抜きは讀み應へがありました。輕く見てゐた歴史の先生ですが、今日の指摘はさすがです。長州藩士吉田松陰にたいする言及は、松陰は帝國主義者且つテロリストだといふぼくの持論を強化してくれましたし、最下段の終はりの段落、「この『お友達』・・・は、自分たちが決定したことを天皇によつて権威づけをし、あたかも天皇の命令であるがごとく実行できる体制をつくりました」、とあるところなど、ぼくは暗記するほど噛みしめて讀みました。それに、「この『お友達』・・・は」なんて、アベお友達内閣そのものでせう。 

 

まづ思ひ出すのが、戊辰戰爭です。薩長軍は、幕府を憎む一部公卿らとともに天皇をかつぎ上げ、何の正當性もないのに、「錦の御旗」をかかげただけで官軍だと言つて、會津をはじめ東北諸藩にたいする殺戮の暴擧に出たのであります。 

いつだつたか、「上官の命令は天皇陛下のご命令である!」といふ、軍國主義時代の軍隊の話を聞いたことがありますが、ぼくが天皇制に疑ひを持つのはこの點です。天皇が知らない所で、天皇の命令が下され、天皇のために死ぬ人が出る。いくら死んだからといつて、命令した上官は自分の責任とは感じないですむのです。天皇の名においてやつたことだからです。こんな無責任な體制が、明治維新以後太平洋戰爭終結まで行はれ、なほかつ今現在のアベ政權によつて復活し、天皇はますます「錦の御旗」にしかすぎなくなりつつあるのです。 

せめて、先日のドナルドキーンさんのご指摘を待つまでもなく、「表現の自由を持たない両陛下の憲法への思いにこそ、私たちの忖度(そんたく)が必要ではないかと思う」。