二月七日(水)庚午(舊十二月廿二日 晴

 

今日の讀書・・鷲山茂雄著 『源氏物語─語りのからくり』 (新典社新書) を讀みました。たいへん讀みやすい内容で、後半は、「はじめて 『源氏物語』 を読む人のために」と「『源氏物語』 の卷々のあらすじ」でしたけれど、前半の、「 『語り』 の 『からくり』 という視点から」物語を讀むといふ指摘には目が開かれました。 

例へば、「光源氏の藤壺の宮への想いは絶対的な秘密なのです。その事実を知っているのは、一部の 『語りて』 と私たち 『読者』 だけなのです」と言つてゐます。つまり、「藤壺の宮への想い」は、讀者は當然知つてゐますが、登場人物は誰も知らない。そのことを斟酌し、讀者各自が編集者のやうな心持ちで讀むことが「読み」の秘訣だといふのです。言はれてみればなんだと思ひますが、たしかに留意しておくといいかも知れません。

 

また、次の指摘も、いつもぼくが思つてゐることなんですが、參考になりました。 

「『源氏物語』のもつ魅力、おもしろさは、もちろんその筋にあります。けれども、その筋の面白さに加えて、物語をずっと魅力的にしているのは、なにげない登場人物の会話やふるまい、季節季節の自然の風景、男と女の微妙な心のやりとり、親子の情愛、死をみつめる心など、簡単にはあげきれません。『源氏物語』 は筋を知ったうえであっても、思いもよらない新しい魅力をそのつど見つけることになるでしょう」。 

ぼくは高山より、低山俳諧、里山を遊びつくすのに魅力を感じます。それと同じで、『源氏物語』 を讀み出してから、そろそろ一年になりますが、細部が面白いと感じはじめました。まあ、ねちねちしたり、くどかつたりするところ多々ありますが、それが面白さにかはりつつあるのは、よほど 『源氏』 の深みに入りこんでしまつたのでせうか。 

 

《東京散歩 じゆんの一歩一》 その第十七回目。ガイドブックである 『東京山手・下町散歩』 にはかうあります。コース名と内容─「昔みちを歩く 雑司ヶ谷みち・鬼子母神 池袋駅~高田馬場駅 池袋を基点として、昔みちである長崎道や旧雑司ヶ谷道を歩くコース。途中の道沿いには雑司ヶ谷鬼子母神や江戸五不動のひとつである目白不動などの名刹が多い。〔所要〕2・5時間」。 

池袋驛周邊をよく飲み込めてゐないからですが、驛の東から西口に抜けるのには、改札口のある南通路や中央通路を通らなければなりません。ここがまたいつも半端な混みやうではないので、けつこうエネルギーを消耗いたします。 

それでもどうにか、定期的に古本市が開かれる西口廣場までやつてきました。日陰には黑く汚れた殘雪があちこちに見られます。今日も冷たい風がときおり吹き抜けていきます。公園の片隅には、喫煙コーナーとトイレがあり、そこを出發點としました。

 

疎覺えですから、そのつもりで、まづは、自由學園明日館をめざしました。いちど訪ねたところですから迷はずに着きました。フランク・ロイド・ライド設計の建物が明るい陽光のもとに輝いてゐました。が、さらに、公園を過ぎ、左折して西武池袋線の踏切をわたり、さあ、ここから目白庭園へどう行つたものか、鈴木三重吉の舊宅跡と坪田譲治の舊宅もと探しても、どうやら歩きすぎてしまつたやうで、行きつ戻りつ、保育園歸りの親子に尋ねたりして、このあたりでだいぶ時間を費やし、歩數もやたらふえてしまひました。 

それでも、雰圍氣のいい回遊式庭園の目白庭園で一休みできましたし、三重吉さんの舊宅跡を確認することもできました。ただ、坪田譲治さんの舊宅は見あたらず、あとで確認したら、明日館(みようにちかん)のすぐそばにあつたのでした。地圖がないと思はぬ發見もありますが、このやうに無駄に歩くことも覺悟しなければなりません。(つづく) 

 

今日の寫眞・・鷲山茂雄著 『源氏物語─語りのからくり』 と 『東京山手・下町散歩』(昭文社)より、コース番號十七の地圖(前半)。この地圖を他のガイドブックや區分地圖などとくらべれば、どれだけ情報が豐かか一目瞭然です! 

スタート地點の西口廣場。自由學園明日館。鈴木三重吉の舊宅跡(左手の白い塀が目白庭園、その先は踏切)と、回遊式庭園の目白庭園(向かひの建物は「赤鳥庵」)。