正月廿七日(土)己未(舊十二月十一日 晴

 

今朝、メールを開いたら、ドイツの愛ちやんから便りが屆いてゐました。まづ、何よりもほつとしました。昨年三月以來音沙汰がなくて心配してゐたのです。 

お互ひに病氣持ちですから、いつどうなつても仕方がないのですが、連絡がないとやはり心配です。うな重やら、天丼やら、おすしやら、天龍の餃子やらの寫眞がこたへたのかも知れません。 

奥さんと娘三人、それと孫たちにかこまれていい顔してゐました。ぼくが知り合つた頃に産まれた三女のゆうこが三十歳になるといふのでびつくりです。ほんとうに年月がたつのは早い。といふか、何もしなくても過ぎてしまふのですから、これほど平等で殘酷なことはありません。 

 

今日の讀書・・殘されたわづかな人生、無駄に過ごさない、いや、自己滿足できる人生のために、今日も 『増註源氏物語湖月抄』 の〈賢木〉を讀みつづけました。 

何か發見でもあるかなと、冗談半分に書きましたけれど、今日もありました。源氏が朧月夜と文を交はしつつ、會ひたいけれども噂にでもなつたらたいへんです。桐壺帝が亡くなり、源氏を憎む太后がどんな仕返しをしようか、虎視眈々としてゐる中で、「例の御癖(くせ)なれば、今しも御心ざしまさるべかめり」と、あります。例の女癖のことです。會へない、會つてはいけないとなると餘計に會ひたくなる癖が直らない、どころか高じてきてしまつたのであります。 

そこは、「靑表紙本」でも、小學館の日本古典文學全集と新潮日本古典集成でも同じです。ところが、『湖月抄』 だけが、「今しも御心ざしまさるべかンめり」と、「ン」を書き入れてゐるのです。おや、と思ひましたけれど、なになに、口に出して讀んでみると、語呂がよくていい感じです。お江戸の粹人の聲が聞こえてくるやうです。 

このやうにして讀んでゐると、やはり勉強は獨學しかないのかなあと思ひます。 

 

今日の寫眞・・安倍川の最上流、梅ヶ島に遊びに行つたときの記念寫眞。このとき、愛ちやんもぼくもひげが黑かつた。なんと樂しかつたことだらう。 

今日のモモタ君。ちよつと眞面目顔。