正月十九日(金)辛亥(舊十二月三日 晴のちくもり

 

今日の讀書・・昨夜、思ひ立つて、讀書記録をまとめてみました。二〇一六年七月、ペースメーカーを入れざるを得なくなつて入院しましたが、その時、『讀書記録』ノートに記録をつけられなくなくなつたのを切つ掛けとして、ブログの「ひげ日記」に直に記録するやうにしたため、つづけてきた讀書册數が途切れたままになつてゐたのです。それを、「讀書記録」と名づけたファイルを作成し、二〇一六年の正月、ちやうど小松英雄さんのご本に没頭してゐたころですが、その正月からの讀んだ本の記録をすべて、「ひげ日記」から抜き出して整理したのです。 

二〇一五年末までの册數はわかつてゐますから、二〇一六年と二〇一七年の册數を加へてみたら、さあ何册になつてゐたか? もつとも、子どものころから讀んでゐましたし、記録してゐない本がたくさんあつたはづですが、それらは省いてゐます。 

 

ぼくの「讀書記録」は、大學に入つた年、一九六六年の正月からはじめました。それを見ると、讀んだ年と少ない年が一目瞭然。一番讀めなかつた年は、一九八九年で、年にたつた十五册。當時のポケットカレンダーを見たら、仕事嫌いなぼくがよくも毎日飛び回つてゐたなと感心をしてしまひました。そんな時代もあつたのでした。それと、大學で勉強してゐた時も少ないです。難解な學術書に取り組んでゐた時期で、すらすら讀めるはづもありませんでした。好きな冒険小説や時代小説を讀む暇がなかつた、といふより關心が向かなかつたからでもあります。 

では、最も讀んだ年はといふと、二〇〇七年、伊豆の山暮らしも一段落して、のんびりイージーリーディングを樂しんでゐたときですね。一年で一九九册でした。と、まあ、册數にこだはるのはもう人生の末期症状が出てきたのかも知れません。ちよつとは謎を殘して先に進みたいと思ひます。 

 

それで、今日は金曜日。古本市への出勤日です。今日も有無を言はさずに出かけてきました。神保町の古書會館、初日は毎回大混雑です。先週は、選ぶのが大變なほどでしたが、今日は不漁でして、無視してもいいのに、野呂先生の 『実存論的神学』 が目についたもので購入してしまひました。専門書店では非常に高價なのですが、ここだからこそ安價! とうにあきらめてゐた學問なんですが、「讀書記録」をながめたためでせうか、懐かしさのあまりか、はたまたひこばえでも顔を出したのか、讀みたくなりました。 

それに、古書店街のワゴンの中に、今度は、ブルトマン著作集(第7卷)を見つけてしまひ、これもばか安だつたので、求めましたし、さう、伊勢崎の古書市ではあきらめた、『齋王和歌文学の史的研究』 が、八木書店の廉價本のなかにあつたので求めました。 

最近は重量が輕い本を探すなんて言つておきながら、今日は重くてふうふうして歸宅しました。 

 

それでも、往復の電車の中と喫茶店で、一昨日求めた、小子象林著 三時業雲老人落草』 を讀了。因果應報についてわかりやすく説明されてゐました。「少欲知足のいましめを根本とさへすれば、福分壽命はおのすから増長して、畢竟しては無上の佛果をも圓成することなり」

 

今日の寫眞・・安くつて輕かつた 『平家物語』。クラスメートに賴まれてゐたのですが、すぐに見つけられました。それと、重量の重い二册。