正月九日(火)辛丑(舊十一月廿三日・下弦 曇りのち晴

 

今日の讀書・・今朝は一月ぶりの齒のメンテナンス日。行つて歸つて二〇分。それから朝食をいただいて、讀書にとりかかりました。 

「源氏勉強表」に從つて、まづ、『源氏物語抜書抄』(古典文庫) を、「紫上系」の〈花宴〉まで讀みました。これはあとから「表」に追加したダイジェスト本ですけれど、活字本で、しかも内容は、『源氏大鏡』 とほぼ同じ、讀めたけれども味氣なくてつらかつたです。

 

ところが、昨年の春から持ち歩いては飛び飛びに讀んでゐた 『十帖源氏』 を、あらためて〈若紫〉から讀みはじめたら、内容はダイジェストで、原文と照らし合はせるとつぎはぎだらけではありますけれど、くづし字の魔法がとけてゐないとでも言ひませうか、文字が讀めていく解讀作業そのものが實に面白い。くづし字リテラシー向上を願ふ中野三敏さんのご本と講演がいかに身にしみたかの證左でありませうか。

 

まあ、ぼくが源氏を讀みはじめたのも、くづし字で日本文學を讀んでみようなどといふ、壯大な計畫を立てたからであります。著作年代順で言へば、竹取物語からはじめて、伊勢物語(これは二種類のくづし字本)、古今和歌集(三種類のくづし字本を竝行して繼讀中)、土佐日記、將門記(漢文)、大和物語、平仲物語、蜻蛉日記、宇津保物語、そして落窪物語まで讀んできたところで、枕草子にしようか、源氏物語にしようかと迷つてゐるところで、學習院さくらアカデミーの 《源氏物語をよむ》 に出會つたのでした。

 

だから、どうしてなのだと自問しても、よく分からないのですが、くづし字だから讀みたいのですね。不遜な言ひ方ですが、同じ日本人が何百年も使つてゐたくづし字が讀めないのは悔しいし、日本を愛するとか、傳統を守るとか言つても、ぼくにできるのはまあこれくらいだらうと思つてがんばつてゐるので、自慢話めいたら勘辨していただきませう。

 

さう、ぼくも三度ばかり受講したことがありますが、あちこちで古文書を學ぶ講座が開かれてゐます。それこそ古文書の解讀ですから、漢字漢文及び歴史の素養がけつこう必要です。それが知りたい歴史の要にあるやうな古文書ならいいにしても、街道筋の御觸れのやうな古文書を解讀しても、ねえ。ぼくは、それよりも、古典文學をくづし字で讀むための講座のはうがよほど面白いし快感を得られると思ふのですが、我田引水のやうですみません。 

さうだ、《源氏物語をよむ》 の講座とは別に、《更級日記をよむ》 が開かれてゐたと思つたのですが、これからはじまる冬期講座にはないやうなんです。どうしたんでせう? 

 

今日の寫眞・・今日アマゾンから屆いた二册。大塚ひかりさんのはうは、最近妻が讀んで、源氏讀んでゐるなら讀みなさいと言つて薦められたもの(註一)。逢坂さんのは、二ヶ月前、『逆襲の地平線』 を讀んだときに次はこれだと思ひ定めてゐたもの(註二))。ブックオフよりネットのはうがずつと安いことを發見! 

 

註一・・胤(たね)よりも腹(はら)が大事――母親が誰かに注目した「女系図」でたどると、日本史の見え方が一変する。滅亡したはずの平家は、実は今上天皇にまで平清盛の血筋を繋げる一方、源頼朝の直系子孫はほどなくして途絶えているのだ。「史上初にして唯一の女性皇太子はなぜ誕生したのか」「徳川将軍家にはなぜ女系図が作れないのか」等々、著者作成の豊富な系図をもとに、次々と歴史の謎を解き明かしていく。 

 

註二・・一八六九年、箱館。元新撰組副長・土方歳三は新政府軍の銃弾に斃れた――はずだった。頭部に被弾し重体に陥った彼を救いだしたのは、時枝新一郎と妹のゆら。彼らは新政府軍に命を狙われる土方を、アメリカへ密航させることに成功する。しかし、意識を取り戻した土方は、記憶を失っていたのだった。すべてを無くしたサムライは、果たしてどこへ向かうのか? 逢坂剛が満を持して贈る、壮大なる歴史スペクタクル!