正月二日(火)甲午(舊十一月十六日・望 晴

 

今日も散歩に出てまゐりました。柴又まで歩こうと思ひ立つたのですが、ちよいと躊躇してゐたら、妻が、「サミットまで、あなたの好きな酢だこを買ひに行くから、途中までのせてあ・げ・る!」といふのです。これは渡りに船です。お氣持ちの變はらぬうちに妻の運轉する車に乘り、我が家のお墓のある立石のお寺の角のところで降ろしてもらひました。

 

そこからはほぼ一直線。シンフォニーヒルズの前を通り過ぎ、京成靑砥驛を橫に見て、環七を越せば中川にかかる高砂橋。ところどころで休憩し、柴又驛に着いたのは一一時四五分でした。ちやうどお晝時、と思つた瞬間目に飛び込んできたのが、驛前の人の群です。寅さんとさくらの銅像の前は人で埋まつてをりました。 

いや、まだ驛前は序の口でした。參道を進むにつれて、帝釋天に向かふ人と歸る人とがぶつかり合ひ、途中で、これでは行くも地獄歸るも地獄、帝釋天がのぞんでゐるわけではないでせうに、參拜者は冥途への試練を受けてゐるやうな按配でした。

 

さう言へば、遠い昔、淸水にゐた時に、一緒に『平家物語』を讀んでゐた友人を誘ひ、ちやうど同じやうな時期にやつてきたことがありました。その時は、矢切の渡しに乘るのが目當てでしたが、當時の寫眞を見ると、渡し場のまはりは、木一本生えてゐない殺風景な景色でした。

 

いや、ぼくの目的は參拜ではありません。川千家でうなぎをいただく豫定で出てきたのですが、店の前までが精一杯。やつとのことで入つたら、こんどは何十人もの行列です。これではお腹がもたないと、トイレだけ借りて、驛までもどりました。そして、比較的空いてゐたゑびす家さんでいただくことができました。

まあ、このやうな混み合ふ時期にくるものではないなと思ひました。でも、八三〇〇歩歩くことができました。 

 

今日の寫眞・・高砂橋のたもとから、中川の向こう右手に慈惠醫療センターをのぞむ。柴又驛前。そして、川千家の前あたりにて帝釋天をのぞむ!。 

おまけは、四十年も前の矢切の渡しです。ぼくのひげはまだ黑々してゐます!