十一月廿七日(月)戊午(舊十月十日・上弦 晴のち曇り

 

朝、八時四〇分、母が出かけました。一週間ぶり二回目のデイサービスです。隣に住む叔母が一日おき、近所の方も週二回から三回出かけてゐるのにくらべるとまどろこしい感じですが、まだ行きはじめたばかりです。行くやうになつただけでもよしとしなければならないでせう。 

 

今日の讀書・・今日も、『日本紀略』 を、『史料綜覽』 とともに讀みましたが、なかなか手強く、長元元年(一〇二八年)元日から、同三年の五月までしか進みませんでした。道長がゐなくなり、焦点が絞りにくいこともあります。が、それ以上に、息子で關白の賴通がどういふ人物であるのか、何をしようとしてゐるのかがわかりません。まあ、朝廷儀式が滯りなく行はれることが、まつりごとの基本ですから問題がなければ、もう年中行事の羅列でしかありません。 

が、それでも、長元元年六月には、平忠常の亂が起こつてをります。それで、その直後に改元がなされてゐるところなど、元號が縁起をかついだものであることをししてゐるやうなものであります。もつとも、「疫癘炎旱ニ依ル」とはなつてゐますが。 

また、年中行事のひとつでもある、「仁王會」が頻繁に行はれてゐます。通例は春秋二季行はれる行事ですが、「《仁王経》を読誦すれば、国土の乱れ、災害・盗賊の難が静まり、天下泰平・鎮護国家となるとの信仰から行われた法会」ですから、叛亂や疫病の蔓延、災害が頻發する時代だからでせう、「臨時仁王會」がなんども行はれてゐます。

 

それもさうですが、神賴みのまつりごとで動いてゐる國家なんてなんとも不安定で、考へたら無責任極まりない國家運營に思へてなりません。それにくらべて、「今日、豐樂院殿壇上デ、美女一人殺害セラル」といつた記事のはうが、不謹愼かも知れませんが、ほつといたします。 

 

今日の寫眞・・平和橋通りと川の手通りの角にある〈大八元〉。ここのソースヤキソバが美味い! ぼくはもう何十年と通つてゐます。 

糸を綴じ直してみた、豆本の 『古今和歌集(下)』。下の文庫本大の二册は、繼讀中の 『古今和歌集(上下)』。