十一月十九日(日)庚戌(舊十月二日 曇り

 

今日の讀書・・今日は氣分をかへて、逢坂剛さんの 『逆襲の地平線』 を讀みました。『アリゾナ無宿』 につづくウエスタン第二作で、心は西部に飛んでしまひ、まるで映畫を見てゐるやうな面白さでありました。 

つづいて、第三作といふか、六年前にさかのぼつて、なかまの一人の日本人がどうして西部にやつてきたかを主題とした 『果てしなき追跡』 がこの一月に出てゐるのですが、まだ文庫本にはなつてゐないやうです。

 

まづ、『逆襲の地平線』 の内容紹介 ─ 時は一八七六年。舞台は荒々しいワイルド・ウエストの世界を現出させるアリゾナのとある街。射撃の名手の賞金稼ぎ、記憶喪失のサムライ、天涯孤独の少女の賞金稼ぎの三人組に、とある「依頼」が舞い込んだ。莫大な報酬を条件に、十年前、コマンチに掠われた娘を奪還してほしいというのだが……。壮大なアメリカの大地を縦断する決死の追跡が始まった! 

つづいて、『果てしなき追跡』 の内容 ─ 一八六九年、箱館。元新撰組副長・土方歳三は新政府軍の銃弾に斃れた・・・はずだった。頭部に被弾し重体に陥った彼を救いだしたのは、時枝新一郎と妹のゆら。彼らは新政府軍に命を狙われる土方を、アメリカへ密航させることに成功する。しかし、意識を取り戻した土方は、記憶を失っていたのだった。すべてを無くしたサムライは、果たしてどこへ向かうのか? 逢坂剛が満を持して贈る、壮大なる歴史スペクタクル! 

 

今日の寫眞・・讀み終はつた、逢坂剛さんの『逆襲の地平線』(中公文庫)と、二百圓にしては案外に面白さうな 坂上栄美子著 『源氏物語ひとりごと』。 

それと、妻が圖書館からいただいてきたポスター。これから開催されるユージン・スミス寫眞展のポスターですが、これは、昔、ぼくが父に見せてもらつた寫眞集で一目見て惚れこんでしまつた寫眞なので、それを知つてゐた妻が、圖書館からもらつてきてくれたのでした。この人、あとで知つたのですが、實にすごい人です。 

以下、その經歴の抜粋を寫しておきます。 

 

ウィリアム・ユージン・スミス(William Eugene Smith19181230 - 19781015日)は、アメリカの写真家。 

カンザス州ウィチタ生まれ。母方の祖母が、アメリカインディアンのポタワトミ族の血筋もひく。 

第二次世界大戦中にサイパン、沖縄、硫黄島などへ戦争写真家として派遣される。19455月、沖縄戦で歩兵と同行中、日本軍の砲弾の爆風により全身を負傷し、約2年の療養生活を送る。 

1970年、アイリーン・美緒子・スミスと結婚。ともに、チッソが引き起こした水俣病の汚染の実態を写真に撮り、実際に座り込みなどにも参加するなど、世界にその悲劇を伝えた。 

19721月、千葉県市原市五井にあるチッソの工場を訪問した際に、交渉に来た患者や新聞記者たち約20名が、会社側の雇った右翼に取り囲まれ、暴行を受ける事件が発生する。スミスもカメラを壊された上、脊椎を折られ片目失明の重傷を負う。 

19781015日にアリゾナ州トゥーソンの食料雑貨店へ猫のエサを買いに来ていた際、致命的な発作を起こし死去。59歳。 

 

*「楽園への歩み」と題したこの寫眞のお値段は・・・「開運!なんでも鑑定団」の鑑定士評によると~

1946年に撮影されたユージン・スミスの代表作。ユージン・スミスの1枚を挙げろと言われたら必ずこの写真があがる。多くの人はネガがあればいくらでも焼き増しが出来ると思うかもしれないが、ネガは音楽でいうところの楽譜であり、プリント作業は演奏である。なので、プリント作業で、いかようにも表現が変わっていっていく。依頼品のプリントを見ると、周りの木立を敢えて黒く焼きこむことによって、中心部へ視線を誘導するような効果がある。少し驚いたのが、子供の周りの輪郭が白い物で加筆がされている。2人の子供が光に吸い込まれていくような画面作りをより精度を増すために加筆したと思う。表にサインがあるのでこれは自分の作品と認めて渡した物。現状だと500万円だが、これからコレクターの増加によって0が1個違ってもおかしくない作品になっていくと思う。