十一月十八日(土)己酉(舊十月朔日・朔 曇天小雨

 

今日の讀書・・今日は土曜日、學習院さくらアカデミー 《源氏物語をよむ》 の講義に出てまゐりました。 

はじめに、くづし字のお勉強。勉強といつても、〈桐壷〉の冒頭を毎回數行ずつ、一文字一文字の字母を確認する作業です。が、これがくづし字を學ぶ王道のやうなんです。 

それで、ぼくは、この勉強がはじまつてからは、讀んでゐて、おやと思つた文字について、必ずその字母を確認することにしました。すると、今までは勘にたよつて讀んでゐた文字が、俄然確信をもつて讀めるやうになつてきたのです。ところが、「給へる」などの「へ」の字の字母がはつきりしないので、恥ずかしながら質問したのです。 

おほかたの 「變體假名字體表」 では、「へ」は「部」を字母としてゐるのですが、ぼくのちよいと貴重な 「變體假名字體表」 では、その旁(つくり)の 「阝」を字母にしてゐるのです。たしかに、かたちから言へば、阝」のくづしで間違ひないのですが、音(おん)から言へば、阝」を「へ」と讀むことはできません。それで、「部」として、その音を活かしたのではないか。とまあ、そんなことで一應納得しました。

 

で、〈帚木〉の卷の本文のはうですが、「靑表紙本」で、十四頁の二、三行目あたりから、二四頁の三行目まで讀み進みました。 

早速、物知り顔の左馬頭があれこれ語りはじめまして、手にとどきさうもない上流中の上流はさておき、中流の女性がいいことを熱辯! 「中流階級の中でもまんざらでもない者を選び出すことができさうなご時世ですよ」と、さも經驗がありさうなことを述べまくり、でも、「いざ自分の妻として頼りにできる人を選ぼうという場合になると」、ぐつと愼重になりまして、「ひたすらこの人一人と決めねばならぬ一生の連れ合いとするに足るほど」の女性が、かんたんに選べるとも思へない。

 

と、そこで、これは紫式部の眼識ではないかと思ふのですが、つぎのやうに言つてゐるのです。「夫婦となった因縁(原文では「契り」)だけを捨てかねて別れずにいる男は、誠実なように人に見えるし、そうして捨てられないでいる女についても、奥ゆかしい人柄だろうと推測されるというものです」。 

ぼくは、階級によつて相手を選ぶといふ發想が、この時代、その根底にあつたとしても、「契り」を持ち出してきたことに感心しました。契りとは、前世からの因縁といふことでもありますが、ちぎること、約束することです。まさか契約といふ觀念はないにしても、いやあつたかも知れませんが、約束したことに從ふといふ結婚觀がここに見られるのかなあと思ひました。 

 

歸路、開催中の 《書の流儀Ⅱ ―美の継承と創意》 を見に、『出光美術館』 に立ち寄つてきました。「古来、書とはいかに受け継がれ、また各々の理想はどのように追求されてきたのか。素朴な疑問とともに書表現の鑑賞方法を日本・中国の優品よりたずねます」。とあるやうに、最初の部屋の展示は、みな漢詩や扁額ばかりでした。 

ただ、中で興味がひかれたのは、頼山陽の 「四寒詩卷」 といふ漢詩で、當時國内に持ち込まれてゐた明淸時代の書の影響が見られるものだといふのです。どこにどういふ影響があるのかはかいもくわかりませんが、新しいものを取り入れてただちに自分のものにしてしまふ山陽さんの心の持ちやうに感心しました。

 

でも、なんと言つてもかなの書です。重要文化財級の作品がならんでゐました。傳小野道風、傳紀貫之、傳藤原行成、傳藤原公任、藤原定信、藤原定家等、だいたいが傳ではありますが、ほんものの味はいはまた格別なものがあります。 

でも、ぼくがいちばん気に入つてゐるのは、伏見天皇の筆です。「築後切」とか「広沢切」とか、なにしろぼくでも讀み取ることができる文字づかひなんです。やはり、讀めてこそといふところもありますね。 

さういへば、ちやうど一年前に、「開館50周年記念 時代を映す仮名のかたち―国宝手鑑『見努世友』と古筆の名品」 といふ展示があつたのを思ひ出しました。そのときはかなの書ばかりでして、大滿足して歸つたのでした。 

 

今日の寫眞・・紅葉した木々にかこまれた、南一號館の建物。と、出光美術館 《書の流儀Ⅱ ―美の継承と創意》 のポスター等。