十一月十二日(日)癸卯(舊九月廿四日 晴

 

今日の讀書・・ちよいと疲れがたまつたので、一日中横になつて讀書してすごしました。はじめは、途中まででもいいやと讀みはじめたのですが、鳥越碧さんの 『後朝(きぬぎぬ)』、すごいです。引き込まれて、ぼく自身が和泉式部の心を追體驗するやうな氣持ちで、最後まで一氣に讀んでしまひました。

 

『和泉式部日記』 そのものは、爲尊親王の弟、帥の宮敦道親王との數ヵ月の戀愛の經過を、歌を交へて物語ふうに記したものですが、『後朝』 は、爲尊親王との關係から、敦道親王が亡くなつたのち、道長が死去するまでのいはば大河ドラマ風のおもむきがある内容です。

 

鳥越さんは、「和泉式部」を書くことをすすめられてから、「やがて、その一生をなぞっていくうちに、どの恋にも、偽りのない、一途な姿に心からエールを送っていた」 と書いてゐますが、ぼくが感心したのは、物語の流れに破綻がないことです。つまりどの戀愛にも必然性があることを、それはそれはお上手に書かれてゐて、ところどころで唸つてしまひました。

 

ぼくにとつては、男と女がかはす愛情の機微についても敎へられ、これはもつと若いうちだつたら役立つたかも知れないと思ひました。が、後の祭り。でも、當時の男女のありかたや宮廷生活などを知るには、よく調べられてゐてとても參考になりました。 

繼讀中の 『日本紀略』 では、まだ敦道親王が存命中ですので、和泉式部と歌を交はしあつてゐるところでせうか。そんなことを想像しながら讀み進んでいきたいと思ひます。 

 

註・・『和泉式部日記』 平安中期の日記。冷泉天皇の皇子帥の宮(そちのみや)敦道親王との恋愛の顚末を、贈答歌を中心に記したもので、歌物語の一面をもつ。長保5年(1003年)4月から翌年の寛弘元年(1004年)1月までの10ヵ月間の出来事がその内容である。他作説(例えば藤原俊成説)もあるが、家集との関係および日記本文からみて、自作とすべきであろう。執筆は、07(寛弘4)敦道親王が亡くなった後の、喪に服している一年の間(寛弘5年、1008年)に書かれたと思われる。 

 

今日の寫眞・・朝刊の新聞切り抜き。それと、『和泉式部日記』 と 鳥越碧著『後朝 和泉式部日記抄』(講談社文庫)。