十月廿日(金)庚辰(舊九月朔日・朔 雨日中やむ

 

今日の讀書・・朝晩寢床で讀みつづけてゐた、井原西鶴著 『繪入 好色一代男 二』 が讀み終りました。だんだん變體假名であるといふ意識が薄れてきて、讀みなれてきました。この本では、文法的な難しさは感じませんが、事柄が難しい。といふか、わからないなりに讀み過ごしてしまひますから、語られてゐることの深みといふか、おかしみを味はうことができません。これこそ文化の斷絶なんでせう。殘念です。 

 

今日もまた、「靑表紙本」で 『源氏物語〈帚木〉』 を讀みつづけました。やはり氣になつたのが、〈桐壷〉との斷絶ですね。これはこれで獨立した物語として讀んでも、ちつとも差し障りないと思ひます。途中までですけれど。 

それと、變體假名の難しさです。〈桐壷〉を基本とすると、はじめて出てきた文字がいくつもありました。「よ與」、「は羽」、「ほ本」、「く」、「ゆ遊」、「き喜」、「と登」、「て傳」、以上、出てきた順に書き出しましたが、他のみなれた文字もだいぶくづされてゐて讀みづらい。書き寫した人の個性が出てゐるのでせう。それとも、これも〈帚木〉を挿入とする 《玉蔓系後記説》 を裏付ける根據の一つとされてゐるのでせうか。 

 

早めの晝食をいただき、切りがいい一七頁のところまで讀んだら、まだ午後一時過ぎでした。それで、すぐに支度して堀切菖蒲園驛そばの投票所まで行きました。衆議院選擧の「期日前投票」をするためです。落とすところははつきりしてゐます。もちろん一票を入れるところも決まつてゐます。で、投票所は地區センターの二階ですけれども、たくさんの人がつめかけ、今までにない熱氣が感じられました。一階のホールでは、廣島原爆寫眞展を開催してゐましたしね。どこも高齢者ががんばつてゐるやうに見受けられました。

 

さあ、ひとつ責任を果たしましたので、もう一つの責任を果たすために神保町の古書會館へ向かひました。ぼくにとつて貴重な本を掘り出すことが、つづく責任でありまして、今回は二册探し出しました。 

一册目は、昭和六年五月に大阪三越で開催された、「西鶴記念展覽會」の目録、これが三〇〇圓。それと、『相法脩身録』 といふ黑く汚れた和本です。はじめて目にする書名の本ですが、變體假名が讀みやすいのと、人生訓のやうな内容でしたので購入しました。五〇〇圓。それが、歸宅してわかつたことですが、けつこう重要な本であり、著者のやうなんです(註)。 

 

最後の責任です。雨が小休止してゐるあひだに歸るつもりで、神保町驛から新宿線で森下驛にでました。昨日、ネットで調べた馬刺しの店〈みの家〉を訪ねるためです。以前、相當前ですが來たことがあるんですが、すべて記憶の彼方へ去つてしまつてゐましたので、改めて探して出かけました。 

暖簾をくぐると、居眠りしてゐるぢいさんが目に飛び込んできました。そつと聲をかけると、はつとして目をさまし、はい、下足札を、といつて、使ひ込まれた木札をくださつて、ぼくは靴を脱いで座敷にあがりました。ずずつと入つていくと、誰もゐません。まだ五時前でしたから。で、やつてきたお姉さんに、柿島屋と同じく、馬刺しとごはんと冷奴をたのんで、美味しくいただくことができました。でも、ここのは薄くスライス状態なので、柿島屋の厚切りのはうが食べごたへはあると思ひます。 

 

註・・水野南北 江戸時代(1760年-1834年)の観相家。 

『相法脩身録』 顔、手爪の状態、気色で病気を判断する相術を説いた望診のための書。江戸時代、髪結い、銭湯の流し番、死体の陰亡焼き、医者…と、長い間のデータの集積と研究によって、中国陰陽五行の相術を日本の風土に独自に展開し、五臓から精神病までの幅広い観相術を確立した、偉人水野南北の代表的著作。 

「──観相家としても知られる水野南北ですが、その食に関する造詣の深さには驚かされます。しかも、そのすべてが自らの体験に基づくものだけに大変説得力があります。幕末の名医として知られる石塚左玄にも影響を与えたと言われている人物です。 

南北の教えで特徴的なのは 『食べ物が人の運命に影響する』 という点です。今日、わが国ではグルメブームということで、テレビでも食べ物を題材として美食を推奨するような番組が増えていますが、私たち日本国民の運勢がどんどん悪化の方向をたどっているように思えてなりません。こんな世の中だからこそ、水野南北の教えを謙虚に受け止めたいものです。──」 

 

今日の寫眞・・江東區森下の〈みの家〉と下足札と馬刺し等。 

それと、『西鶴記念展覽會目録』 と 水野南北著 『相法脩身録』(文化九年・一八一二年)。高田屋嘉兵衛がロシア船に捕はれた年です。