十月六日(金)丙寅(舊八月十七日・望 曇天のち雨

 

今日の讀書・・さてさて今日の讀書ですが、はじめに、またもや昨日のところで、書ききれなかつたことを追加しておきます。 

それは、長保元年(九九九年)九月のことです。これもまた 『日本紀略』 にはなくて、また、『御堂關白記』 にも記されてをらず、ただ並行して讀んでゐる、と言つても飛ばし讀みですが、『大日本史料』(第二編之三) にのみ記す記録で、けつこう面白い内容です。

 

「九月十九日 東三條院、内裏猫兒ノ産養(うぶやしない)ヲ行ヒ給フ、左大臣道長、右大臣顯光亦之ヲ行フ」

 

これは、道長のライバル、藤原實資の日記である 『小右記』 と 『枕草子』 にも記されてゐる出來事なんですが、事件とは言へないし、宮廷人のお遊びとしたらいいのでせうか。『小右記』 にはかうあります。

 

「内裏ノ御猫子ヲ産ム。女院、左大臣、右大臣産養ノ事有リ。・・・猫ノ乳母馬ノ命婦。時ノ人之ヲ笑フト云々・・・」と、まあ、ちよいと曖昧ですが、これは皮肉といふか揶揄してゐるところでせうか。

 

女院とは東三條院詮子、道長の姉です。それと最高權力者である左・右大臣も一緒になつて、生まれたばかりの子猫を世話し、「産養」までしてゐるといふ。それで、猫と言へども昇殿するためには五位以上に叙せられねばならぬとして、五位相當官である「命婦」と名付けたらしいのです。そこを、『枕草子』 では・・。

 

「上(殿上)にさぶらふ御猫は、かうぶりにて(叙爵してゐて)、「命婦おとど(命婦さん)」 とて(と名付けて)、いみじうをかしければ(可愛いので)、かしづかせたまふ(天皇も大切にしていらつしやる)が・・・」と、うまくまとめてゐます。

 

もちろん、はじめから 『小右記』 と 『枕草子』 を讀んでゐれば誰でも氣づくところですが、かうして、編年體の 『大日本史料』 や 『日本紀略』 に記されてゐると、さらに廣い視野のもとで味はうことができて、歴史を學ぶとはかういふことかと納得させられます。 

それにしても、内心憎み合つてゐる左大臣道長と右大臣顯光が、目を細めて猫をなでなでしてゐるところを想像すると、猫の和解力といふか、人の心を平和にするその魔力に、ぼく自身經驗してゐるところなので、あらためてすばらしいことだと思ひます。猫、万歳! 

それゆゑに、虐待されつづけてゐるノラネコのことを思ふと、胸が張り裂けんばかりです。 

 

今日はまた、井原西鶴著 『繪入 好色一代男 一』 を讀了しました。寢入るまでと起きあがるまでのベッドの中で讀み進んだものです。塵も積もればといふやつです。 

これは、はじめ、古典文庫で讀みはじめたのですが、途中から、複刻日本古典文學館の 赤木文庫本で讀みました。參考書は、『源氏物語』 と同じく、『日本古典文學全集』(小學館) です。 

ちなみに、『繪入 好色一代男』 の底本は、横山重氏所藏、天和二年・大坂思案橋荒砥屋・孫兵衛句心板(初摺)で、赤木文庫本と稱される最善本です。原本八巻八冊の影印のその第一册を讀んだわけです。挿絵は西鶴畫、本文板下西吟筆ださうです。 

 

さて、明日は土曜日、學習院さくらアカデミーの 《源氏物語をよむ》 のお講義があります。それで、一應、豫習として、『源氏物語』 〈桐壺〉の卷、「靑表紙本」で、六〇頁から終りの七〇頁までを、ぼくとしては復習として讀みました。 

 

今日の寫眞・・『御堂關白記』 と 『好色一代男 一』。それと、ココが我が家にきた日。