九月廿五日(月)乙卯(舊八月六日 晴のち曇り

 

今日の讀書・・「靑表紙本」で讀む 『源氏物語〈葵〉』 を繼讀しつつ、『又藏の火』 を讀んでしまひました。胸がふさがるやうな思ひを抱きながら、どうにか讀み通すことができたといつたところでせうか。 

とくに、市井ものの 「割れた月」 と 「恐喝」 は絶望的な暗さです。 

それにくらべて、表題の武家ものの 「又藏の火」 は、暗いといつても、どこか自ら切り開ける希望、或いは覺悟の上の最期をめざしてゐるわけで、なんとなく納得しながら讀むことが出來ますが、市井もの、なかでも賭博によつて身を持ち崩していく者の悲慘さは、もうただ無慘、目を覆ひたくなります。これが、實は、ぼくたちをとりまく現實を一皮むいた姿なんでせう。

 

藤沢周平作さんの小説をダシに使ふやうで失禮ですが、元相撲取りが、博打は、「教えない、覚えないが一番だ」 と言つてゐましたが、國や自治體が賭博場を作つて「胴元」となるなんて、まつたく時代錯誤もはなはだしい、といつてすませられるものではありません。國や自治體は、「絶望的な人生」を量産するつもりなんでせうか。ぼくは、有權者が、どんな人物や政策に一票を投じるか、命がけになつてほしいと思ひます。投票はギャンブルではないんです(註)。 

 

註・・貴闘力さんに聞く ギャンブル依存症 「教えない、覚えないが一番だ」 

拙速に決めた「カジノ解禁」をめぐり、各地の自治体や業者が浮足立ってきた。政府は今月下旬からの臨時国会で実施法案を提出する方針で、先月には全国で公聴会も開いてきた。だが、そもそもギャンブル依存症患者を増やしかねない政策を、国が音頭を取って進める矛盾は放置されたままだ。カジノ解禁の陥穽(かんせい)はどこにあるのか。ギャンブル依存症の深刻さを、大相撲元関脇の貴闘力さん(49)に聞いた。・・・(「東京新聞」2017913日朝刊參照) 

 

今日の寫眞・・我が家で誕生したノラの子たちもだいぶ育つてきました。今日も一匹づつ抱いて撫でさすつてあげました。ただ、ぢつとしてゐないので、カメラを向けてもなかなかピントがあひません!