九月四日(月)甲午(舊七月十四日 曇り一時雨

 

今日の讀書・・外は雨模様で、肌寒く、かういふ日は寢轉んで本を讀んで過ごすのが一番。そこで、相も變はらず 『源氏物語〈葵〉』 を繼讀しつつ、『訪書の旅 集書の旅』 と交互に、起き上がつたり寢轉んだり、モモタとココにまとはりつかれたりして讀み進みました。 

 

『訪書の旅 集書の旅』 では、三分の二ほど讀み進んだら、例の松尾聰先生の文が載つてゐました(註一)。吉岡曠著『源氏物語論』(笠間書院) のあの型破りの 〈序〉 を書いたあの先生です(六月十四日參照)。「学習院大学藏三条西家本讓受次第など」 といふ題で、三条西公正さんが亡くなられたその思ひ出として書かれた一文です。 

先生は、學習院大學文學部國文學科の教師でしたが、昭和二十四年のこと、「戰後、生活の変動に難儀されてゐた華族、とりわけ堂上(室町時代以降の公家の家格の一つ)の方々のお一人であつた、先輩でもある三條西公正さんから、藏書を讓り受けられたのでした(註二)。そのとき、前後二回にわたつて、合計、一〇五點を譲り受けたさうですが、もう少し資金があつたらもつと譲つていただけたのにと、だいぶ殘念がつて書いてをられます。

 

そのとき學習院大學に譲られた書物のなかには、『伊勢物語』 や 『源氏』關係書三十一點、『大和物語』、それに 『枕草子』 なども入つてゐたやうです。現在、圖書館に行つたら見せていただけるのでせうか? 

實は、ちよいと調べたら、ぼくが入手した 『能因本枕草子 上下』 は、〈学習院大学藏〉 となつてゐて、このときに譲られた書のひとつだつたのです。あるところにはあつたんですね。 

さういへば、九條家などからも、だいぶ流出したやうです。それで、まあ、研究者はたいへん喜んだわけでありますが。 

 

さて、『源氏物語〈葵〉』 のはうは、ぢき、學習院さくらアカデミー 《源氏物語をよむ》 の秋の講義がはじまるので、少し急ぎたいのですが、今、御息所の物の怪に苦しみながらも、葵の上がやつと男の子を出産した、その場面のあたりです。 

 

註一・・松尾 聰(まつお さとし、1907年〈明治40年〉928- 1997年〈平成9年〉25日) 日本文学者。 

学習院大学名誉教授。文学博士(東京大学)。専攻は平安時代文学。東京大学教授池田亀鑑に師事。学習院高等科の教授時代、教え子に三島由紀夫がいた。 

 

註二・・三条西公正(さんじょうにし きんおさ 19011984) 昭和時代の香道家。 

明治3418日生まれ。帝室博物館鑑査官などをつとめ、のち実践女子大教授。昭和22年御家流(おいえりゅう)宗家をつぐ。有職,服飾史に通じ、書をよくした。日本香道協会会長。昭和59125日死去。83歳。東京出身。東京帝大卒。号は尭山(ぎょうざん)。著作に「組香の鑑賞」「概観日本服装史」など。 

尚、三条西家は、藤原北家 閑院流 嫡流・転法輪三条家の分家である正親町三条家のそのまた分家で、大臣家の家格を持つ公家。西三条家ともいう。正親町三条家の分家でありながら家格は本家のそれをしのぎ、三大臣家の中でも別格とみなされていたばかりか、室町時代から江戸時代初期にかけて右大臣をたびたび出したため、その家格は清華家とほぼ同格とみなされていた。閑院家嫡流の転法輪三条家にもたびたび養子を出したため、戦国時代以後の転法輪三条家の直接の血統は三条西家のものとなっている。江戸時代の家禄は502石。 

 

今日の寫眞・・松尾聰編 『能因本枕草子学習院大学藏 〈上〉』 ((笠間影印叢刊) と、松尾聰編 『変体平仮名演習』 (笠間書院)。後者は、ぼくの變體假名のお勉強の教科書です。ちなみに、内容はそれぞれ・・・

 

・松尾聰編 『能因本枕草子 上下』 (笠間影印叢刊) 「枕草子の本文四系統(三巻本・能因本・前田本・堺本)のうちの一つ、江戸期以後、一番流布された善本、能因本の現存唯一の書。三条西伯爵家に古くから伝えられた由緒正しい本で、昭和二十四年に学習院大学へゆずられた。」

 

松尾聰編 『変体平仮名演習』 (笠間書院) 「前半に〈変体平仮名の諸体〉〈混同しやすい仮名〉を掲げ、基礎を能率的に修得できるよう編成した。特に〈混同しやすい仮名〉は類書がほとんどなく有効。近世期にあまり用いられていない字体には×印を施す等、適切な工夫がなされ本書を至便の手引としている。後半に古今・伊勢・源氏・徒然の影印を抄出し、自学自習に便利。」

 

たしかに便利で、演習用本文の、「古今和歌集」と「伊勢物語」と「源氏物語〈はなちるさと〉」(全文)と「徒然草」はたいへん勉強になりました! 

それと、これから讀もうと思つてゐる、井上ひさし著 『江戸紫絵巻源氏 上下』 (文春文庫)です