九月三日(日)癸巳(舊七月十三日 晴ときどき曇り

 

今日の讀書・・昨日、散歩の途中で、池波さんの 『剣客群像』 を讀み終へました。これは氣晴らしのやうなものなどと書いてしまひましたが、とんでもありませんので、訂正いたします。ぼくは、鬼平犯科帳と剣客商売と梅安さん以外、それほどたくさんの小説を讀んでゐるわけではありませんが、この書は、ぼくは、池波さんが最も言ひたかつたこと、書きたかつたことを書いた著書ではないかと思ひました。ではなく、さう確信いたしました。

 

八つの短編が竝んでゐますが、最初の 「秘伝」 は、先日讀んだ 『秘伝の声 上下』 の要約のやうな内容でした。また、ぼくの好みで言へば、「弓の源八」 と 「寛政女武道」 がとてもよかつた。感動したといつてもいいでせう。そして、最後の 「ごめんよ」 です。 

ぼくは、幕末明治維新ものは、感情移入してしまふのか、讀んでゐて苦しくなつてしまふのですが、池波さんのものは、『西鄕隆盛』 を筆頭に、剣客をからめた幕末ものにしろ、側面からあれこれ語つてくれるので、よく理解できるとともに苦しまなくても讀めるので大いに助かります。 

しかし、だからと言つて、池波さんは、曖昧な歴史を語つてはゐません。獨自の視點といふか、史觀ともいつていい主張を、柔らかいオブラートにつつみながらも、しつかりと語つてゐるのですね。そのことを、本書によつてあらためて知ることができました。 「ごめんよ」 はその最たるものです。 

その主張、いくつか散見できますが、まとまつて述べてゐるところを書き出してみませう。 

 

「むかし、私に、伊庭八郎と申す友人がございましてな」 

「おお、知っている。函館で戦死をした・・・あの人も大変なつかい手だそうな」 

「はい。この男が死ぬ前に、こんなことをいっております。それは、・・・慶喜公が、わずか一日にして、みずから三百年におよぶ天下の権を朝廷に返上し、一滴の血も流さず事をおさめようとした事実は、かつてわが国の歴史にも西洋の歴史にもなかったことだ。このおどろくべき新しい芽を薩摩・長州の勤王方が、ああ、よくやってくれた、われわれも共に力を合わせ、国事に立ち向おう・・・と、こういってくるどころか、無理無体に德川の根を絶とうと戦を仕むけてきた、このことを忘れてはならぬ、と、伊庭はかように申したそうでございます」 

伊藤博文は、ふかくうなずき、 

「その通りじゃ」 

「うらみごとを申しているのではございませんよ」 

「わかっています。そのことを、いまのわしにいってくれる貴公のこころは、ようわかった」 

「日本人は、新しい芽が出ると、つまんでしまいます。いくら強い良好な芽でもね」 

 

どうでせうか。伊藤博文がもののわかつたやうな人物として出てくるところが、ちよいと氣に入りませんが、ぼくは、これほどはつきりと薩長の非を述べたものを他に知りません。いや、ぼくが知らないだけかもしれませんが、とくに長州は、長岡や會津の人々の命を「無理無体に」奪つてしまひました。河井繼之助が、いくらやめようと言つても、聞く耳を持たない、誤解すべくもない「狂犬」でした。

 

そして、ここで、丸谷才一さんの主張の、「チョウスウのため死んだとて、どもならねすけの」、「チョウスウのため死ぬのはやめれ」、につながつてくるのでありますね(「秘密」、『にぎやかな街で』所収)。 

「薩摩を蹴落として、明治政府の実権を握った」戰爭好きの長州人が起こした太平洋戰爭で犬死にするなと、出征する孫の主人公に八十三歳の老祖母が必死に語る言葉です。 

「戊辰の戰爭のときに庄内藩士の幼い娘であった於雪は、その約八十年後、大東亜戦争を、長州とアメリカの戦争として受け取っている。」 これは、當然丸谷さんのお考へでもありませう。

 

さなんです、チョウスウ(長州)人であることを誇示し、その「大東亜戦争」のA級戰犯である祖父を敬ふアベ首相とも當然つながつてくるわけでありまして、なぜ 「アベ政治を許さない!」 なのか、納得出來ない方は、ぜひともこれら、幕末から明治にかけての長州人政治家の動きを知れば、すんなりと納得できるでありませう。

 

それにつけても、小池都知事、たうとう化けの皮が剥がれてきましたね。いや、本性を顯はにしたと言ひませうか。朝鮮人大虐殺については、『歴史紀行二十 中仙道を歩く(九) 本庄宿~倉賀野宿』 で書きましたし、實際にその慰靈碑を訪ねもしました。新聞に 「虐殺を招いたデマの拡散には当時の行政が荷担した。本來なら知事が式に足を運ぶか、都が式を主催してもいいほどだ」 と書かれてゐましたが、まさにその通りでありまして、小池都知事、何をバカなことを言つてゐるのかと、ぼくは思つてゐます(現在進行形)!。 

 

今日の寫眞・・先日五頭を加へて、計十二頭となつた子ネコを育てる母さんネコ。ぼくの代辯者、嵐山光三郎センセイのご著書の廣告。それと、《東京散歩》 より (つづき)。