八月廿一日(月)庚辰(舊六月卅日 曇天、蒸し暑い

 

外に出れば暑いことはわかつてゐましたけれど、橫になつて本を讀んでゐるだけだと、體調がどうもよくありません。いつそ、中山道を歩いた頃の苦しさを思ひおこして、歩いてみることにしました。まあ、先日も、三日連續の講義に耐えられましたし、いい汗を流せば氣分もよくなることでせう。 

それで、しばらく休んでゐた、《東京散歩 じゆんの一歩一》 のつづき、その第十回めにのぞみました。

 

いつもより早く家を出ました。妻が、昨日捕獲したノラネコ五頭を病院へ連れていくので、その途中の綾瀨驛まで乘せてもらつたのです。 

さうだ、十八日に我が書齋で産まれた子ネコは、六頭ではなくて七頭でした。母子ともに元氣のやうです。たぶん、この母猫、以前にも出産經驗があり、飼ひ猫だつたのではないかと思はれるのです。ケージの中を掃除したり、食事や水を與へるときにもおとなしいし、手からエサを直に食べるといふのですから・・・。 

 

まづは、いつものやうに、ガイドブック 『東京山手・下町散歩 120コース』(昭文社) によるコース名と内容です。「コース10 文學散歩 田端文士村・千駄木 田端驛~東大前驛 かつて田端界隈は、『日本のモンマルトル』と呼ばれ、芥川龍之介、室生犀星などの文士や、藝術家達の舊居跡が殘る。現在でも茶道や陶藝の敎室が見受けられ、知的な雰圍氣。〔所要〕2時間」。

 

田端から東大まで、直線距離でどのくらゐなのでせうか。遠いやうで、けつこう近いのだなと感じましたが、回り道が多かつたので、時間はかかりました。 

西日暮里驛乘り換へで、田端驛にははじめて降り立ちました。きつと、ぼくにとつて、山手線で乘り降りしたことのない最後の驛だつたと思ひます。 

その改札口を、九時二〇分にスタート。驛前道路を挟んだ斜向かいにある田端文士村記念館を訪ねましたが、さういへば月曜日だつたのです。殘念なことに休館日でした。で、なにしろ歩きました。今日は、ガイドブックの指示に從つて、忠實にたどつてみることにしました。

 

時々、なんで遠回り、といふ道が記されてあるんですが、歩いてみると、たしかに面白いのです。今日も、遠回りのさきに、富士見橋といふ、山手線の線路を跨ぐ橋があつたんです。下を走るのは、しよつちゆう乘つてゐる山手線です。田端驛から京浜東北線と別れて駒込驛方面へとカーブする切通しの間を走つてゐます。ついカメラを向けてしまひました。

 

ところで、『日本のモンマルトル』 と呼ばれる界隈を、それこそジグザグに、いや、カタカナのコの字を連ねたやうな道順で歩きました。いくつもの坂を下りたり上つたり、八幡坂あり、ポプラ坂あり、與樂寺坂あり、もちろん、距離はかせげませんよ。かといつて、「田端文士芸術家村」地圖にある方々の舊跡を多く訪ねたわけでもありません。 

せいぜい、室生犀星の舊居の庭石が保存されてゐる公園と芥川龍之介舊居跡くらゐで、田端をあとにして、西日暮里から千駄木へと向かひました。(つづく) 

 

今日の寫眞・・休館日の田端文士村記念館。「田端文士芸術家村」地圖。富士見橋にて。小杉放庵が作つたテニスコート(現在は、田端兒童館)脇のポプラ坂。室生犀星の舊居の庭石、そして、芥川龍之介舊居跡。 

「田端文士芸術家」の舊宅を訪ねるには、改めて來なければなりませんね。參考書に、近藤富枝著 『文壇資料 田端文士村』(講談社) があります。