八月廿日(土)己卯(舊六月廿九日 終日曇天

 

今日の讀書・・『ジェノサイド』、午後四時三四分讀了。面白くて面白くて昨夜はほとんど寢られず、はらはらドキドキの連續で、終はりまで飽きさせませんでした。これぞ冒險小説!といつたところでせうか。 

細かいところははぶきまして、ちよいと氣になつたところ・・・ 

 

「すべての生物種の中で、人間だけが同種間の大量殺戮(ジェノサイド)を行なう唯一の動物だ・・・。人間性とは、殘虐性なのさ。かつて地球上にいた別種の人類、原人やネアンデルタール人も、現生人類によって滅ぼされたと私は見ている。・・・確実に言えるのは、現生人類は他の人類との共存を望まなかったということだ。」 

 

それで、新人類が誕生したと思はれる今、その新人類を根から絶つべくアメリカ大統領が命令を下したところから、物語がはじまります。 

そして、物語のエピローグ。新人類の子どもが、日本人によつて保護され、育てられることを知つたアメリカの政治家と學者のやりとりが實に興味深いのです。 

 

「今後、彼ら(新人類姉弟)はどうするつもりでしょうね?」 

「分からんよ。私も下等動物の一員なのでね。彼らの身になって考えれば、まずは核廃絶に動くんじゃないか? あるいは、戦争をしたがる政治的リーダーだけを選別して皆殺しにするかも知れない」 

そうなれば、柔和な者が地を受け継ぐことになるだろうとルーベンスは思った。 

 

イエスさんが語つた、「幸福(さいはい)なるかな、柔和なる者、その人は地を嗣がん」(マタイ五・五)とは、このやうな意味だつたんですね! ぼくは、はやく新人類が現れて、「戦争をしたがる政治的リーダー」を皆殺しにしてくれることを願はざるを得ませんので、この學者の意見に大賛成です。でも、ほんとはヒトまかせではいけないんですけれど。 

 

さて、一息つきましたので、また 『源氏物語』 の世界にもどらなければなりません。しかし、極大の世界から極微の世界にかへるのは、極端すぎますので、その中間をゆく、歴史小説を讀もうと思ひます。永井路子さんの 『望みしは何ぞ』(中公文庫) です。永井先生の〈王朝三部作〉の完結作品になります。 

ちなみに、〈王朝三部作〉とは、『王朝序曲』(嵯峨天皇と藤原冬嗣からはじまる平安王朝のはじまり) と 『この世をば』(平安中期、藤原道長の素顔) そして、『望みしは何ぞ』(道長以降、院政開始まで) です。 

これは、ちやうど 『今鏡』 の世界ですので、さくらアカデミー 《『今鏡』を読む》 の豫習として讀んでおけばよかつたのですけれど、何ごとにもおそいといふことはありません。『源氏物語』 の世界でもありますしね。 

 

今日の寫眞・・先日、弟が來たときに撮つてくれたぼくとモモタ。ココはぼく以外の人には姿を見せませんのです!

 


 

八月一日~廿日までの讀書記録

 

八月一日 伊東祐子著 「源氏物語の引歌の種々相」 (『源氏物語の探究 第十二輯』 風間書房、所収) 

八月三日 繁田信一著 『殴り合う貴族たち』 (角川文庫) 

八月四日 宮内庁書陵部藏 靑表紙本 『源氏物語〈花宴〉』 (新典社) 

八月六日 伊東祐子著 「源氏物語の 『鳥』 考」 (『古典文學論叢』 明治書院、所収) 

八月七日 丸谷才一対談集 『文学ときどき酒』 (中公文庫) 

八月九日 池波正太郎著 『西鄕隆盛』 (角川文庫) 

八月十四日 保立道久著 『平安王朝』 (岩波新書) このうち、第Ⅳ章 〈「院政」と内乱の時代〉 を再讀 

八月十五日 永井路子・永原慶二・大隅和雄三鼎談 「中世貴族の思考形式」 (「日本の名著9 愚管抄・神皇正統記」 中央公論社、附録) 

八月十五日 北畠親房著・永原慶二譯 『神皇正統記』 (そのうち、第六十七代三条院から第八十代高倉院まで 中央公論社) 

八月十六日 慈圓著・大隅和雄三譯 『愚管抄』 (そのうち、卷第四 中央公論社) 

八月廿日 高野和明著 『ジェノサイド』 (角川書店)