八月十六日(水)乙亥(舊六月廿一日 雨

 

今日の讀書・・學習院さくらアカデミー、《『今鏡』を読む 王朝貴族の実相を考える》 がはじまりました。講師は関幸彦先生です。『怨靈の宴』 や 『武士の誕生』 など、すでに五、六册は入手してあるのですが、ぼくの讀書計畫では、ほんのちよいと先になるので、讀まないでじつと我慢してゐるところなのであります。

 

それはそれとして、《『今鏡』を読む》 です。準備として、昨日、『神皇正統記』 につづいて、『愚管抄』 のその必要な〈卷第四〉の部分を讀み終はらすことができました。新聞を讀んでゐるやうな感じだと言ひましたが、いやいや、週刊誌を讀む面白さであると訂正いたします。「日本最初の史論書」なんて言はれてゐますがね?

 

「この物語は内緒事であって、世間にひろまり人々が噂するにまかせておくようなことではない」 とか、 

「今書いているこの書物はこのことが起こるに至った経過とその理由を明らかにすることを第一の主眼としている」 とか、 

「かれこれの伝聞をとり合わせながら考えてみると」 とか、 

「この七月十一日の戦乱については、当時五位の藏人・・・が担当して書いた日記があり、わたくしは思いがけなくそれを見ることができた」 とか、 

「義朝の報告を伝える使が走り行きかい、記録しておりましたわたくしにはいささかの不審もなく、目のあたりに見ているように思われたものです」 とか、實にジャーナリスティックなのでありますね。まあ、ゴシップ集とは言ひませんが、ほとんど同時代を生きた、しかも關係者の一人でもあつた慈圓さんならではの筆致と言へませう。 

これからはじまる 《『今鏡』を読む》 の參考になることを期待したいと思ひます。 

 

さて、講義は、學習院大學南1號館の103敎室で行はれました。《源氏物語をよむ》 と 《源氏物語の引歌について学ぼう!!》 と同じ敎室で、ぼくは同じ一番前の席に座りました。受講者はなんと二十五名。例のごとく、みなさんぼくよりお歳が上の方ばかりとお見受けいたしましたが、やる氣満々のご樣子にはぼくも奮ひ起たせられました。 

関幸彦先生、挨拶も早々にテキストの解説に入りました。いい聲です。いや、よく聞こえる聲です。このために購入した補聽器ですが、必要ないくらゐでした。が、まあよく聞こえるのは、半分は補聽器の助けであると思つておきませう。

 

まづ、初つ端ですから、『今鏡』 の周邊について敎へていただきました。「四鏡」といはれる、「大・今・水・增(だいこんみずまし)」について、その大まかな内容やら、特徴やら違ひやらを面白く語つてくださいました。なかでも、『今鏡』 と 『增鏡』 は、それぞれ平家の時代と南北朝時代に書かれたものですが、兩者に通底するのは、華やかな王朝文化に對する憧憬であり、王朝物語、和歌などの教養が重んじられてゐたやうなのであります。だからですね、『源氏釋』 や 『紫明抄』、『花鳥餘情』 などの 『源氏物語』 の注釋書が多いのは!

 

それから、〈目次〉の説明につづいて、本文の〈序〉を讀みました。 

(嘉応二年・一一七〇年)三月十日ころ、長谷詣でのついでに大和で寺巡りをしてゐた筆者が、かつて紫式部に仕へてゐたことがあり、百五十歳を越えてゐるといふ老女あやめに出會ふ。あやめは實は 『大鏡』 の語り手大宅世繼の孫で、乞はれるままに「その後のこと」を語り始める、といふところまででした。

 

今日の寫眞・・先日甥が持つてきてくれたお菓子。それと、『今鏡』 關係の系圖。