七月廿九日(土)丁巳(舊六月七日 曇天のち雨

 

一年前の今日、西新橋の慈惠大學病院に入院しました。ペースメーカーを入れるためです。手術は翌卅日で、一應成功し、十一日後に退院しました。 

入院生活は慣れてゐると言つてもいいほどのぼくの人生ですけれど、金屬の人工瓣を入れたのが四十年前、そして今度はペースメーカーといふ金屬を入れて、ぼくはだんだんサイボーグ化していつてゐます。それで、昨年の入院は、格別なものがありました。 

入院中の日記を讀み返してみましたら、昨日のことのやうに思ひ出しました。その中から、氣になつたところを拔粹しておきたいと思ひます。入院生活第六日目の、八月三日のところです。 

 

夕べは寝苦しい夜でした。左手の親指は触ればまだ痛いし、もしかしたら原因の一端は弓道の弓手のせいではないかなどと思ひながら、昨日の「バルジ大作戦」での大佐と付き人のやりとりをあらためて考へてみました。 

そこで思つたことは、ドイツ軍の戦車部隊の大佐は戦争が好きでたまらない人間であり、戦争が永遠につづくことを願つてゐるそやうな人間でした。それに対して、付き人の男は子どものことを心配する平凡な人間なんですね。 

戦争の継続を期待する大佐に、では自分の息子たちはどうなるのかを問ふと、大佐は、笑顔を向け胸を張りながら、名誉ある死があるではないか、と言ふのを聞いて、平凡な父親は、悩んだすゑに転属を願ひ出るといふ筋書きになつてをります。

 

そのおかげでこの付き人は戦死をまぬがれたのですが、戦争好きの首相のもとにある現在のぼくたちは、転属どころか逃げることができません。 

といふか、戦争好きの人間ですから、諸政策についてもまるで非人間的です。軍拡にはげみ、沖縄の人々を見殺しに、いまださ迷ふ福島原発の被害者を見捨ててやまず、福祉はなほざり、死んだら「名誉ある死」とでもしておけばいいとでも言ふかのやうな扱ひでありまして、それで靖国神社などが必要となるわけなのでありますね!

 

だから、大事なのは、政治家を選ぶときに、平和を志向する人間なのか、戦争好きで、それから得られる利益のためならば、国民の命なんぞ犬のクソくらいにしか考へてゐない人間であるかどうか、またその同調者であるかどうかを、見極める目を養はなければならないのであります。 

つまり、戦争好き人間がゐるといふ現実を見据えたうへで、政治家を選ぶことがぼくたち平凡な人間に課されてゐるのであります! 

だから、国を豊かにするためだとか、強くするためだとか、国際平和のためだとか、そんな扇動に同調したり便乗してはいけないのでありまして、かうなると、もう倫理とか一人ひとり生き方の問題なんですね。誰もが深く考へることはできないのでせうが、せめて、政治家を選ぶときには、いつも世話をやいてくれる人だからなどといふしがらみを断ち切つて、自分の家族や若者たちを「名誉ある死」とか「英霊」にしないやうな人間を選ばなければならないと、ぼくはさう思ひました。

 

さうなんです。聞いてみれば戰爭を望む人は一人もをりません。それなのに、ぼくたちはまさか戦争などしないだらうと思つて、アベのやうな男を総理大臣にしてしまつてゐますが、皮ジャンを着て、米軍の戦闘機のコックピットでニコニコしてゐる戦争好きの首相のあのあほ顔をみな忘れてしまつたのでせうか。 

いやあ、朝から熱くなつてしまひました。 

 

以上、點滴に拘束され、左手親指の痛さに耐へながら書いた日記ですが、それから一年たつた今日もまつたく同じ事が言ひたい現實ですので、確認をこめて再掲載いたしました。 

 

さう、《東山會》 の渡辺さんから、秋も深まつた十一月の、初の一泊歴史散策の宿泊先がきまり、かつ宿泊の豫約がとれたといふ、吉報がもたらされました。かういふのを、キリスト教用語で、「福音」と申します。 

 

今日の寫眞・・今朝もやつてきた寅と、敷物をかじるココ。