七月十九日(水)丁未(舊閏五月廿六日・土用 晴

 

今日は水曜日、國立新美術館に行つてまゐりました。先日、火曜日に出かけたら休館日だつたので、今日はそのリベンジです。 

千代田線乃木坂驛から直通の入口があることは前回たしかめておいたので、迷ふことなく着くことができました。が、その建物の巨大なこと、あちこちに美術館が林立するなかに、これが新たに必要かと思はれるほど。斬新すぎます。

 

で、ジャコメッティ展(註一)ですが、素晴らしかつたです。その作品の多いこと、彼の全作品かと思はれたくらゐです。針金のやうな人物像の數々や、唯一の犬と猫の彫刻も面白い。なかでも、ナプキンやチラシに描いた矢内原伊作(註二)なんかよかつたですねえ。 

實は、この展覽會のために、大昔に讀んだ、矢内原伊作著『ジャコメッティとともに』 を探したのですが、書庫の奥に埋もれてしまつたみたいで見つかりませんでした。が、なんとしてでも探し出そうと思ひました。

 

でも、彼が探求した、「見えるままに描く」ことは、ほんとうは不可能なんでせうね。時間と空間が一瞬でも停止するならば可能かも知れませんが、まあ、つねにあやふやなのが人間であり、この世界です。いつその事すべてがクリアされてしまへばいいと思はないでもありませんが。 

 

註・・ジャコメッティ展概要 スイスに生まれ、フランスで活躍したアルベルト・ジャコメッティ(1901-1966年)は、20世紀のヨーロッパにおける最も重要な彫刻家のひとりです。アフリカやオセアニアの彫刻やキュビスムへの傾倒、そして、1920年代の終わりから参加したシュルレアリスム運動など、同時代の先鋭的な動きを存分に吸収したジャコメッティは、1935年から、モデルに向き合いつつ独自のスタイルの創出へと歩み出しました。それは、身体を線のように長く引き伸ばした、まったく新たな彫刻でした。ジャコメッティは、見ることと造ることのあいだの葛藤の先に、虚飾を取り去った人間の本質に迫ろうとしたのです。その特異な造形が実存主義や現象学の文脈でも評価されたことは、彼の彫刻が同時代の精神に呼応した証だといえましょう。またジャコメッティは、日本人哲学者である矢内原伊作(19181989年)と交流したことでも知られ、矢内原をモデルとした制作は、ジャコメッティに多大な刺激を与えました。 

本展覧会には、ジャコメッティの貴重な作品を所蔵する国内コレクションのご協力も仰ぎつつ、初期から晩年まで、彫刻、油彩、素描、版画など、選りすぐりの作品、132点が出品 

 

註二・・矢内原伊作 矢内原忠雄の長男として愛媛県に生まれる。聖書のイサクに因んで名づけられた。東京府立一中、第一高等学校理科を経て、1941年京都帝国大学文学部哲学科卒業。1942年海軍予備学生。 

復員後サルトルやカミュに惹かれ、本格的に実存主義の立場で哲学を研究。また造形芸術に関心が深く、渡仏し彫刻家ジャコメッティと深い親交を持ち、多くの肖像画や胸像が製作されている。1948年宇佐見英治らとともに文芸誌『同時代』を創刊し、ジャコメッティのアトリエでの対話をはじめとする数々のエッセイを発表する。1969年、『ジャコメッティとともに』で毎日出版文化賞受賞。1989年に亡くなった。 

 

ジャコメッティ展を見たあと、千代田線と三田線を經て、神保町に出て、ふだん歩かない道の古本屋を何軒か訪ねました。すると、ありました。 

岩崎文庫貴重本叢刊〈近世編〉第五卷 『菱川師宣絵本』 (監修・編集 東洋文庫・日本古典文学会) と 大東急記念文庫善本叢刊〈近世編〉第四卷 『赤本黒本青本集』 (汲古書院) の二册です。大きくて重いのですが、一册一〇八〇圓といふのは夢のやうな價格です。後先見ずに買ひ込んでしまひました。 

それからです、神保町交差點から水道橋驛まで持つて歩くのがこれまた苦行でした。川野さんと待ち合はせ、かつ吉で夕食を一緒にする豫定でしたのに、でも、美味しいビールを飲むことができましたので、怪我の功名とでも言つておきませう。 

 

今日の寫眞・・國立新美術館ロビーと、ジャコメッティ展にて。唯一、撮影を許された部屋で。「ジャコメッティ作品の中でも、特に大きな晩年の作品が、チェース・マンハッタン銀行からの依頼で1959年に制作された3つの彫刻『女性立像』『頭部』『歩く男』です。」 

ジャコメッティ展のポスターと、矢内原伊作著『ジャコメッティとともに』。 

それと、ネットからの借用ですが、ナプキンやチラシの端にサラサラと描かれた矢内原伊作の素描。