七月九日(日)丁酉(舊閏五月十六日・望 晴

 

今日の讀書・・『源氏物語』、「桐壺」の卷を、昨日學び終はつたところからおしまひまで、「靑表紙本」で讀み通しました。再讀でした。問題は、次に何を讀むかですが、「帚木」ではなく、「紫の上系(十七帖)」の第二卷目、「若紫」を讀むしかないでせう。できれば九月なかばまでに、「藤裏葉」まで讀んでしまひたいものです。 

 

それと、郷土愛に目覺めた鹿児島の友人が言ふには、鹿児島は、「来年は明治維新一五〇年ということで」だいぶ盛り上がつてゐるやうです。まあ、それは西鄕さんを學ぶにはいい機會だと思ひます。 

ぼくはぼくで、昨日出してきた、荘内藩有志編集の 『西鄕南州翁遺訓』 を再び讀んでみました。それこそ大昔に、岩波文庫で讀んだのですが、すべて忘れてゐました。ぼくの祖父が鶴岡出身ですので、その荘内藩と西鄕さんがどんな關係にあつたのか知りたかつたから讀んだのですが、いいこと言つてゐます。思ひ出しました。上野に銅像が建つはづですよ!

 

その、四十一條からなる遺訓の第一條、これだけでも寫しておきませう。薩摩の西鄕さんから、長州出身の現在の總理大臣に向かつて言つてもらひたいので、現代譯にしました。 

 

一 政府にあつて國のまつりことをするといふことは、天地自然の道を行なふことであるから、たとへわづかであつても私心をさしはさんではならない。 

だからどんなことがあつても心を公平に堅く持ち、正しい道を踏み、廣く賢明な人を選んで、その職務に忠實にたへることのできる人に政權をとらせることこそ天意すなはち神の心にかなふものである。だからほんとうに賢明で適任だと認める人がゐたら、すぐにでも自分の職をゆづるくらゐでなくてはいけない。 

從つてどんなに國に功績があつても、その職務に不適任な人を官職を與へてほめるのはよくないことの第一である。 

 

どうですか。現政權は、まつたく逆のことをしてゐるではないですか。いや、明治維新以來、國政はここで批判されてゐるやうな政治家たちによつて私物化され、牛耳られてきたのでありますね。できるなら、西鄕さんに出てきてもらひ、嚴しく問ひただしていただきたいものであります。 

 

今日の寫眞・・「紙の博物館」入口付近と、髙村光雲作の上野の西鄕さん像。