七月八日(土)丙申(舊閏五月十五日 晴

 

今日の讀書・・今日も暑くなりました。でも、やると決めたことはやりとげなければなりません。一つは、《東京散歩》。二つめは、《源氏物語をよむ》。そして三つめは、西武池袋百貨店で開催中の古本まつりに行き、最後は、同じ池袋の東武百貨店のレストラン街の天龍で餃子ライスをいただくことです。 

 

《東京散歩 じゆんの一歩一》 は九回目になりました。 

まづは、コース名と内容。「ミュージアムめぐり 飛鳥山 王子驛~駒込驛 飛鳥山公園内の博物館をまわって、「ゲーテの小径」沿いのゲーテ記念館から旧古河庭園に向かう。博物館に時間を使いすぎて、ルート上の街道時代の名残りを見逃さないように。〔所要〕4時間」。

 

町屋驛から都電で王子驛下車。九時五〇分にスタートし、JR王子驛南口を通り抜けて、飛鳥山にのぼりました。のぼりきつたところが飛鳥山公園で、すでに何回か來たところです。都電とSLが鎭座まします兒童公園内を横斷すると、木々にかこまれた、「博物館ゾーン」が現れます。「紙の博物館」と「北区飛鳥山博物館」と「渋沢史料館」が竝んでゐるんです。 

この中で、「渋沢史料館」は我が歴史紀行で取材濟みですし(註一)、「北区飛鳥山博物館」は「北区のことがなんでもわかる博物館」といふのですが、この二つは省きまして、今日は、開館時間をむかへたばかりの 「紙の博物館」 を見學いたしました。

 

實は、今日歩くところに「紙の博物館」があるのに氣がつきまして、先日新聞で知つた「吉澤章作品展」を見るには一石二鳥でした。正しくは、《作品寄贈記念展 ORIGAMI ~”神宿る手”吉澤章のまなざし~》 といふ作品展でしたが、いつ見ても、なんど見ても素晴らしいと思はざるを得ません。本來ならば、「吉澤章折り紙美術館」が作られてもいいと思ふのですが、まあ、先生の作品にいつでも觸れられるところができただけでもうれしいです。

 

會場は四階で、見學者はぼく一人。そこに「国際折り紙研究会」のお方がをられて、あれこれ説明してくださいました。八十六歳の方で、松尾さんと言ひましたか、何年か前に葡萄球菌にやられて、からだが動かなくなつたとき、小康を得たときに折り紙が折れることに感激したとおつしやつてをられました。 

それに對してぼくは、持參した寶物の 吉澤章著『折り紙読本』 をカバンからとり出して應戰いたしました! ぼくが十歳頃に父が買つてくれた本で、未だに折れない作品が多くて、これがぼくの人生を豐かにしてくれたことには、いくら感謝しても言ひ盡くせません。それで、意氣投合、ご一緒に寫眞を撮りました(註二、三)。(つづく) 

 

註一・・『歴史紀行十八 我が家の古文書発見! ・飛鳥山「渋沢史料館」訪問』 

註二・・吉澤 章(よしざわ あきら、1911314 - 2005314日)は、栃木県出身の折り紙作家。日本の創作折り紙の第一人者であるとともに、折り紙の世界的な普及に尽力したことで知られる。 

1938年より折り紙の本格的な研究を始めた吉澤は、1954年に初の著書である「折り紙芸術」を刊行。同年に国際折り紙研究会を創設した。1966年からは、外務省から折り紙講師としてオセアニア、ヨーロッパへ派遣されるなど、世界各地で作品展、講演を行って折り紙の普及に努めた。晩年も精力的に活動を行っていたが、2005314日に肺炎のため東京都板橋区の病院で死去。ちょうど94歳の誕生日だった。 

尚、作品寄贈記念展 ORIGAMI ~”神宿る手”吉澤章のまなざし~》 展の会期は、6月17日(土)から9月3日(日)です。 

 

駒込驛から目白驛まではほんのわづか、十分講義には間に合ひました。 

十回にわたつておこなはれた、學習院さくらアカデミー、《源氏物語をよむ》 の最後の講義でした。午後一時から二時半まで、毎週受けてきたわけですけれど、勉強になりました。はじめのうちは、文法のことなどは嫌だなあと思ひましたが、なれてきたせいもあつたのでせう、先生の敎へとぼくの學ぶ氣持ちが噛みあつてきまして、『源氏物語』 を讀み通す氣持ちを高めてくれました。 

『源氏物語』 「桐壺」の卷、「靑表紙本」で、四一頁から四七頁の段落まで。以下、高麗人の相人の助言によつて、ひかる君は臣籍に下され、源氏となつて活躍の場を廣げてゆくことになります。

 

でも、先生の豫告によりますと、九月から十回、再び講義が行はれるやうなのであります。それも、第二帖の「帚木」からといふのですから、ぼくとしたら、それまでに、「紫の上系(十七帖)」を讀んでしまはうかしらと、ふと無謀ともいへる計畫が頭の中に立ち上がつてきたのであります。「帚木」の卷は、「玉鬘系」の冒頭ですから、その前に、一連のまとまつた話を讀んでおくことにこしたことはありません。 

ただ、夏には、「引歌」の特別講義もありますし、『今鏡』の講義も控へてゐますし、はたして可能でありませうか。餘技はお休みをして、やれるだけやつてみませう。

一緒に學んでまゐりました生徒八名、またご一緒する機會があると思ひますが、一應お別れいたしました。 

 

つづいて、正門前の信號を渡り、明治通りに出て、池袋百貨店まで歩きました。暑くて、レモン水を飲みのみ、涼しい會場に入つてほつとするまもなく、掘り出し物探しに没頭。夕方まで足を棒にして樂しみました。 

入手したのは、結局、鎗田清太郎著『角川源義の時代』 と 『袋草紙注釈 上』 と 東郷實晴著『西鄕隆盛─その生涯─』 の三册でした。『袋草紙注釈』(塙書房)は、はじめて手に取りましたが厚いうへに難しさうです。ですが、無視できませんでした。また、『西鄕隆盛─その生涯─』 は、古い友人がこの四月に故郷鹿児島に歸り、郷土愛に目覺めたとか言つてきましたので、ぼくもちよいと關心を向けたいと思つたからであります。 

 

さて、最後の餃子ですが、東口から西口まで歩くのがまあ大變。人を避け、かき分け、東武百貨店の入口を探し、さらに階上へのエレベーターにたどり着くまでに體力を使ひ果たしてしまつた感じ。でも、時間が早く、天龍ではそのまま席に着くことができました。銀座店、押上店にくらべると、一番せまく感じました。が、ビックリしたのは、出てきた餃子が六つだつたんです。他の店では八つもあつて、食べきれなくて、それで行くのも躊躇してゐたんですけれど、六つならどうにか食べ盡くすことができました。 

いやあ、今日も充實した一日でした。歸宅して見たら、一二七六〇歩でした。 

 

今日の寫眞・・「紙の博物館」にて、マツオさんと。受付で買ひ求めた「越前もみ紙」と、我が『折り紙読本』 

『西鄕隆盛─その生涯─』と、西鄕さんを慕つた荘内藩有志作成の『西鄕南州翁遺訓』。 

東武百貨店のレストラン街の天龍で餃子ライス。