七月六日(木)甲午(舊閏五月十三日 晴のち曇り

 

今日の讀書・・今日も、『日本紀略』 一條天皇の時代をひきつづき。長德元年(九九五年)正月から、同四(九九八年)二月の、尊子入内までを讀みました。これで、一條天皇のもとに入内して中宮や女御になつたのは、定子(九九〇年正月)、義子(九九六年七月)、元子(九九六年十一月)、そして尊子さんの四人。あとは、道長の娘、彰子さんが殘るお一人ですね。

 

ところで、定子さんは、今日讀んだところで(九九六年五月一日)、「落餝して尼と爲」つてゐるんです。一條天皇はまだ十七歳ですよ。なのに何故かといひますと、定子さんの兄たち、伊周と隆家が、こともあらうに花山法皇に弓を射かけてしまつたからであります。いくら女の奪ひ合ひとはいへ、法皇を襲つてしまつたのは不覺でしたね。定子さんはその責任の一端をになはれたのではないでせうか。 

といつて、定子さん、その年の十二月十六日に女兒を産んでゐるのです。尼さんが出産といふのはどうも、といふ氣がしますが、天皇のお子ですから黙認といつたところでせうか。それに、天皇も定子さんをだいぶ好かれてゐたやうですから、喜んだことでせう。 

父の關白道隆が亡くなり、後ろ盾をなくした直後なのにしでかしたことです。伊周と隆家兄弟は、左遷されるのですが、惡あがきをして大變な醜態をさらしてゐます。道長にとつては甥にあたる二人ですが、目の上の二つのたんこぶだつたので、ざまを見ろと思つたことでせう。 

 

さう、女御となつた元子さん。「承香殿の女御」と言はれたんですね(註)。樂しみなのは、角田文衞著『承香殿の女御』 と 阿部光子著『惡靈の左大臣』 といふ、元子さん主演の本がお待ちかねなのであります。もう、讀む本が多くてこまるのですが、五、六年前に求めた本にも、やつと出番が回つてきました。無駄にはしたくありません。 

 

*註・・藤原元子(ふじわらのげんし・もとこ) 生没年不詳 平安時代中期、一条天皇の女御。左大臣藤原顕光の長女。母は盛子内親王(村上天皇皇女)。長徳2(996)入内。承香殿(じょうきょうでんの)女御とよばれる。4年、懐妊とまちがえて父邸にさがり、これをはじてふたたび宮中にははいらなかった。天皇の没後、源頼定と密通、のち妻となって女子を生んだ。 

 

今日は、夕飯後、久しぶりに妻と夜のピクニックに出ました。といつてもお花茶屋まで、古本屋とつたやを訪ねたのでした。つたやは、今月末で閉店になるさうです。よほど暇だつたのでせう。靑戸店と龜有店は營業しつづけるといふのですが、DVDを借りるのにちよいと遠くなります。 

 

今日の寫眞・・今日の切り抜き(創作折り紙作家・吉澤章作品展の案内)。ぼくの折り紙の師匠です。三島の佐野美術館でお會ひしたことが忘れられません。亡くなられて何年になるのでせうか。ぜひ見に行きたいと思ひます。 

それと、角田文衞著『承香殿の女御』 と 阿部光子著『惡靈の左大臣』。