六月廿一日(水)己卯(舊五月廿七日・夏至 風雨

 

今日の讀書・・昨日は、丸谷才一さんの、『袖のボタン』(朝日文庫) を持つて出かけましたがほとんど讀めませんでした。が、今日はこれに加へて、大野晋さんとの共著といふか對談の、『光る源氏の物語(上)』 を讀みはじめ、理解のおよぶ、「桐壺」の章と、「帚木・空蝉・夕顔」の章の半分ほどを讀みました。 

「作者複数説の背景」だとか、「三つの層の重なり」、「紫式部と道長の間柄」、そして、「どの順序で読むか」などの章が興味深くておもしろかつた。また、さくらアカデミーの伊東先生が語つてゐた、最近は、「河内本の研究が進んできて」ゐることにも觸れてゐましたし、さう、「『源氏物語』 になぜむやみやたら敬語が多いかといえば、お女中が語るんだから、当然なんです」、なんていふ大野先生のお言葉には、あらためて納得いたしました。

 

とくに小氣味よかつたのは、大野先生が、例の第一部の、a系とb系と分ける説について觸れて、それに反對する方々は、二つの系列に分けるには三つの缺點があるといふけれども、その疑問は、「いまのやうな並べ方で読めば、それが解決できるものであるならば、いまのままで読んだほうがいい。ところが、それでもその三つは別に補われるわけではない」。それなら、「非情に単純で、すっきりして」ゐるa系を通して讀んだはうがわかりやすい。かうおつしやつてゐるんです。 

「つまり、a系を最初に書いて、『藤裏葉』 でまず完結していたと考えなくてはならないでしょう。そしてb系を書いて、aとbとで三十三卷になった。そこで三十四卷目からは、a系、b系、両方の出てくる人物が総登場します」。これで、ぼくも安心して讀み進むことが出來るやうな氣がします。

 

 

《東京散歩》〈コース番號6〉「鉄道探訪」 (つづき) 

もとのコースにもどり、線路際の道に出たら、上中里驛が見えてきました。左下には複數の線路がはしり、右手はコンクリートの頑丈な塀がそびえてゐます。なんと、「国立印刷局 東京工場」、と出入口のプレートには刻印されてゐました。お札でも印刷してゐるのでせうか。あまり興味深く見てゐるとあぶないので歩を早めました。すると、歩いてゐる道に、こんどは、「飛鳥の小径」 と書かれてありました。一瞬なんのことかわかりませんでしたが、さう、王子の飛鳥山へ通ずる小径といふことなんですね。いやあ、ただ歩いてゐるのと違つて考えると世間は謎に滿ちてゐます。 

上中里驛では、構内のトイレをかりまして、ちよいと休憩。これからのコースを確認いたしました。

 

再び跨線橋を渡り、こんどは線路を越えた東側の低地に降り立ちました。コンビニがあり、庚申堂(上中里庚申堂とあつて、庚申塚ではなささうです?)があり、ガイドブックの指示通り、上り坂を上りきると、また跨線橋が、山側のビルの方へのびてゐます。ながめがよくて、スカイツリーが正面に霞んで見えます。 

正面のビルは學校でした。門柱には、「瀧野川女子学園中高等学校」 と書かれてあります。そこを左折し、崖上の道を歩きました。ながめがいい道で、目と同じ高さに新幹線が通つてゐます。途中、不動明王を發見したり、モチ坂といふ解説の書かれた標柱が建つてゐたり、やつと 「旧モチ坂の頂上で眺望良。鉄道ウオッチングのポイント。明治頃までは崖なだれという急坂だつた」 といふポイントに到着したら、急に新幹線が通らなくなり、ここでだいぶ待つてしまひました。すると。眞下に長野新幹線の車輌がのろのろとやつてきたと思つたら、洗車をはじめました。モチ坂の標柱の下だつたので、これはどうにか寫眞に収めることができました。 

 

今日の寫眞・・飛鳥の小径。 

跨線橋の上からながめた新幹線とスカイツリー。 

道路やら鐵道やらによつて人家の庭のすみに追ひやられた不動明王。 

お不動さんがいつも眺めてゐる新幹線。 

洗車中の長野新幹線の車輌。 

舊モチ坂頂上あたりから、歩いてきた後ろを振り向いた寫眞。