六月十八日(日)丙子(舊五月廿四日 曇天のち雨

 

今日の讀書・・昨日、先生が小聲でおつしやられた、丸谷才一さんの、『袖のボタン』(朝日文庫) を出してきて開きました。さて、どこに書いてあるのか、目次を見つめてゐたら、〈浮舟のこと〉 といふ題が目にとまり、頁を繰つてみたらどんぴしやりでした。 

そこでは、我が伊東先生、「閨秀の名論で無視されてゐるものがもう一つあつたつけ」と述べられた、その「閨秀(けいしゅう)の名論」の著者として登場するのでありました。ちなみに、「閨秀」とは、學藝にすぐれた女性のことです。

 

「村上天皇の宣耀殿の女御となる藤原芳子は、父親である小一条左大臣師尹から、・・・『古今集』の和歌全部の暗記を求められた」、といふことから筆が起こされまして、「和歌を覚えるのは、一つには自分で詠むためだが、もう一つは会話のため。当時の貴族階級には、会話の中に古歌の一部を引用する風習があつた。これを引歌といふ。」 

出てきました。「引歌(ひきうた)」です。 

「引歌は婉曲表現であり、教養の見せびらかしであり、同じ教養の持主同士の親愛の情である。古典主義的な社交術であつた。」 

さあ、ここまでいいですね。

 

「これを扱つた好論として伊東祐子さんの 『源氏物語の引歌の種々相』 (『源氏物語の探究 第十二輯』 風間書房、一九八七年、所収) がある。刺激的な研究で、敎へられるところ多大だつたのだが、不思議なことにこれもまた評判にならなかつたらしい。わたしがおもしろがるものの宿命か。」などと書いてゐるところがまた丸谷さんらしくていいですね。 

さて、まだそこまで讀んでゐないぼくが感心するのもおかしな話ですが、丸谷さんの言ひ分を引きます。「瞠目に価するのは、匂宮も薫大将も浮舟に語りかけるとき引歌を用ゐない、といふ発見である」。大君や中の君には何度も古歌を引用してゐるのに、浮舟にはどうして引用しないのか。

 

「言ふまでもなく引歌は相手がそれを理解することを前提としてゐる。たしなみのない相手には古典を引いても意味がない」。これは實に今日のぼくたちの淺薄な知識教養に對する皮肉と受け取ることもできますが、「宮廷的な教養と趣味を身につけてゐない田舎者として」、東少女浮舟を見下し、軽んじてゐた、「さういふ階級的=地域的蔑視の具体的な表現が引歌なしの会話だつたのである」。 

「しかし、現代の伊東祐子さんは鋭くテキストを読み、浮舟の生き方の哀れ深さに清新な角度から強い光を当てた。伊井春樹編 『源氏物語引歌索引』(笠間書院) のおかげとはいへ、誰一人なし得なかつた探究である」。

 

いやあ、べたほめですね。すぐに 『源氏物語の探究 第十二輯』 (風間書房) を注文しましたよ。また、もちろん、ぼくは敬意をもつて講義を受けてをります。さういへば、夏休み中に、特別講義をまうけて、この「引歌」について先生からお話が聞けるかも知れません。これはたいへん樂しみであります。 

 

今日の寫眞・・丸谷才一著『袖のボタン』(朝日文庫) と、今日の東京新聞 〈本音のコラム〉。