六月十六(金)甲戌(舊五月廿二日 晴、一時雷雨

 

今日の讀書・・丸谷才一さんの 『輝く日の宮』、 一度讀んだのに、それでも刺激的です。主人公の杉安佐子が少女時代に書いた短編小説からはじまつて、その主人公の知的雰圍氣に滿ちた家族の状況が描かれた後、そのあたりから本筋に入つて行きます。 

國文學者(あとで、泉鏡花を専攻してゐるとありましたが?)となつた安佐子さん、『芭蕉はなぜ東北へ行つたのか』 といふ題で講演いたします。その内容がまた興味深くて、それだけで一册の本ができさうです。その内容については、しかし、特に御靈信仰についてなどは、丸谷さんの持論があふれたものだと言つてもいいと思ひますが、それをめぐつての批判やそれへの應答などが、「學界」といふものの偏狭さをよく語つてゐて面白いと思ひました。 

 

次に、安佐子さんが京都に行き、「平安京の内裏のあつた所」を歩き、「このあたりが飛香舎すなはち藤壷のあと」だと言ひつつ訪ね歩き、「平安朝の後宮のあとはみすぼらしく汚れた町並だつた」と感想を述べるあたり、ぼく自身も歩いたことがあるので實感されました。まあ、この場面は、短くて、これは伏線として書いたのかなと思つて納得しました。 

問題は、京都を訪ねた理由です。ここであらためて氣づいたのは、『源氏物語』 のなかで、光源氏の父、桐壺帝の寵妃である藤壷の宮が妊娠した際、物語のなかでは、光源氏との二度目の關係のあとで發覺してゐるのですが、それはおかしいといふ安佐子さんとその愛人との會話です。

 

「をかしいね。普通と反対だ。普通なら最初のときのことを、詳しく・・・」 

「ね、さうでせう。をかしいのよ。それで、なぜ一回目(の時の關係の樣子)が書いてないのか。これは、もとは書いてあつたのにその卷がなくなつたのだといふ説もあります。その説の傍證になりさうな事実もあります。この説、学界ぢや有力ぢやないけれど、でも、あたし、あり得ると思ふ。前から、おもしろいなと思つてゐるんです」 

「それで、実地調査するわけ?」 

「ええ、その最初の夜の光源氏の道筋をたどつてみようと思つて」 

と、かういふわけで、京都を訪ねたのでありました。が、しばらくは、話題がはづれます。 

 

さらに刺激的だつたのは、安佐子さんが、爲永春水を讀んでゐるんです。前回讀み過ごしてゐたところですね。『春色梅児誉美』はじめ、春水の「『梅ごよみ』もの五部作のうち二つしか読んでな」いと言ひつつ、内容を掘り下げてゐるんですが、ぼくにはついていけませんでした。でも、岩波文庫の 『梅暦(上下)』 には、この五部作がすべて収められてゐました。今は讀めませんが、いつかはね? 

 

さらに先には、『源氏物語』 のなかでどの卷が一番讀みごたへがあるか? それには、「若菜 上下」と言はせ、「折口信夫といふ偉い学者も、この卷々を読まぬと、本当に『源氏』を読んだとは言へない」といふ言葉を引用してゐます。これは、第二部の冒頭、第三十四帖ですから、第一部讀了後のことになりますですね。はい。 

と、まあ、このやうに、再讀してみますと、はじめには氣がつかなかつたことがやたらと氣になつて、ますます讀書の守備範圍が廣がつてゆく氣がします。 

 

それで、先日觀た映畫 “ザ・コンサルタント” を、返却する前にもう一度觀てみました。やはり見のがしてゐたといふか、よく理解してゐなかつた前後關係がわかつて面白かつたです。 

 

今日の寫眞・・丸谷才一さんの 『輝く日の宮』(講談社文庫) と、爲永春水の 『梅暦』(岩波文庫) と、今後讀む豫定の、大野晋・丸谷才一 『光る源氏の物語』(中公文庫)。 

それと、新聞の切り抜き。おばか政權への批判は、もう東京新聞におまかせします!