六月六日(火)甲子(舊五月十二日 曇り

 

今日の讀書・・「並の卷」について調べました。今朝方トイレに起きたあと、枕元に置いて寢た、武田宗俊著『源氏物語の研究』 のページを開いたら、これまたとまらなくて、一氣に讀み進んでしまひました(ただし必要と思はれるところを飛びとびにですが)。案ずるより産むが易しで、讀んでみていろいろとわかりました。 

こんなに興奮したのは、〈聖德太子はゐなかつた論爭〉 と、小松英雄先生の 〈「古典和歌解読」に關する論爭?〉 以來です。解説者の吉岡曠さんが言つてゐるやうに、「〈玉鬘系物語〉が、〈紫上系物語〉に後から加へられたといふ説(註)は、昭和二十九年に本書が刊行されて以来現在までの三十年間」、ほとんど無視されてきたやうなのであります。小松英雄先生が國文學會から無視されてゐるのとまつたく同じやうな状況にあつたわけですね。ただ、現在はどうなのでせう。 

 

そこで、「並の卷(ならびのまき)」ですけれども、これは、「本の巻(ほんのまき)」に對する概念で、「一度成立した物語(本の巻)に対して、同じ作者により、または別の作者により、後から書き足された話を『並び』と呼ぶ」といふことのやうです。 

ちなみに、「藤原定家の 『源氏物語奥入』 で、源氏物語には、『プレ源氏』ともいうべき卷と『並の卷』の二つの系統が存在することついて軽く触れられている」とありました。が、原文は手もとにあるのですが、難しくて確かめられませんでした。 

參考に、『源氏物語』の全構成を書き出しておきたいと思ひます。昨日番號だけあげた一部二系統の卷々は色別にしてみました。〈紫上系物語〉玉鬘系物語〉 

 

一部・・「桐壺」「帚木」「空蝉」「夕顔」「若紫」「末摘花」「紅葉賀」「花宴」「葵」「賢木」「花散里」「須磨」「明石」「澪標」「蓬生」「関屋」「絵合」「松風」「薄雲」「朝顔」「乙女」「玉蔓」「初音」「胡蝶」「蛍」「常夏」「篝火」「野分」「行幸」「藤袴」「真木柱」「梅枝」「藤裏葉」 

二部・・「若菜(上)」「若菜(下)」「柏木」「横笛」「鈴虫」「夕霧」「御法」「幻」(「雲隠」) 

三部・・「匂宮」「紅梅」「竹河」「橋姫」「椎本」「総角」「早蕨」「宿木」「東屋」「浮舟」「蜻蛉」「手習」「夢浮橋」 (「橋姫」から「夢浮橋」までを『宇治十帖』とも呼ぶ 

 

*註・・武田宗俊の第一部二系統説(=〈玉鬘系物語〉が、〈紫上系物語〉に後から加へられたといふ説) 

武田宗俊は、第一部(桐壺から藤裏葉までの三十三帖)の巻々を、紫上系・玉鬘系の二つの系統に分類し、紫上系の巻だけをつなげても矛盾の無い物語を構成し、おとぎ話的な「めでたしめでたし」で終わる物語になっている。武田宗俊はこれを『「原」源氏物語』であるとしている。紫上系の巻で起こった出来事は玉鬘系の巻に反映しているが、逆に玉鬘系の巻で起こった出来事は紫上系の巻に反映しない。 

玉鬘系の巻はしばしば紫上系の巻と時間的に重なる描写がある。源氏物語第一部の登場人物は紫上系の登場人物と玉鬘系の登場人物に明確に分けることが出来、紫上系の登場人物は紫上系・玉鬘系のどちらの巻にも登場するのに対して玉鬘系の登場人物は玉鬘系の巻にしか登場しない。 

光源氏や紫上といった両系に登場する主要人物の呼称が紫上系の巻と玉鬘系の巻で異なる。紫上系の巻で光源氏と関係を持つのは紫の上・藤壺・六条御息所といった身分の高い「上の品」の女性達であり、玉鬘系の巻で光源氏と関係を持つのは空蝉・夕顔・玉鬘といった上の品より身分の低い「中の品」の女性達であるというように明確に分かれている。 

桐壺巻と帚木巻、夕顔巻と若紫巻等、紫上系の巻から玉鬘系の巻に切り替わる部分や逆に玉鬘系の巻から紫上系の巻に切り替わる部分の描写に不自然な点が多い。紫上系の巻の文体や筆致等は素朴であり、玉鬘系の巻の描写は深みがある。これは後で書かれた玉鬘系の方がより作者の精神的成長を反映しているためであると考えると説明がつく。といったさまざまな理由から 『源氏物語』 第一部はまず紫上系の巻が執筆され、玉鬘系の巻はその後に、一括して挿入されたものであるとした。 

 

ところで、今日も、慈恵醫大病院の齒科へ行つてきました。齒の治療は長くかかるので面倒なんですが、慈惠大であれば、神保町に立ち寄ることができるので、ぼくは嫌ではありません。けれど、このことは妻にはないしよです。 

 

今日の寫眞・・昔の神保町の面影をのこす家竝みと、行列のできるお店。