六月四日(日)壬戌(舊五月十日 晴

 

今日の讀書・・杉本苑子著 『散華 紫式部の生涯(下)』 を讀み終へました。(上)につづいて大長編でしたけれど、内容の背景がわかつてゐたので、すんなりと讀めました。ただひとつふたつ疑問がわきました。 

藤本泉さんの 《紫式部複数説》 からすれば、道長が 『源氏物語』 をよく受け入れたなといふことです。よく讀めば、藤原氏を、批判といふよりもバカにしてゐるわけですから、ただ道長が鷹揚だつたからではすまないと思ふのですけれど。 

それと、その逆のことかも知れませんが、紫式部が藤原道長の目にとまり、彰子に仕へるやうに召されたのは、『源氏物語』 を書きはじめてからであり、もしその内容が藤原氏批判であるならば、召されることもなかつたであらうし、むしろ執筆をとめられたであらうといふことです。 

どうなんでせうか、藤本泉さん。この點について確かめるためにも、引きつづいて、藤本さんの、『源氏物語の謎』 を讀んで行かうと思ひます。

 

ところで、本書の〈あとがき〉にも、〈解説〉にも、「なぜかこれまで、紫式部を主人公とする歴史小説は書かれ」てゐなかつたと記されてゐます。文學者や歴史家が外堀を埋めるやうにして、どうにか書けたとしても、小説となると、主人公らの心の動き描き、歴史的状況を滿たさなくてはなりませんから、いくら資料があれこれあるといつても、やはり難しかつたのでせう。 

最後のはうで、杉本苑子さんは、彰子の言葉としてかう書いてゐます。 

「源氏物語ははるか後の代まで生きつづけ、たくさんの人々に読まれつづけていくことでしょう。物語の命、その力に較べたら、一ッときを支配する権力など、儚いものですね」。 

『散華 紫式部の生涯』 も、「はるか後の代まで、たくさんの人々に読まれつづけていくこと」を願ひます。それとともに、「一ッときを支配する」ばかな支配者に屈することなく胸をはつて生きていきたいと思ひました。 

 

今日の寫眞・・學習院大學構内の、「血洗の池」。學生食堂の窓から撮つた寫眞です。説明板によれば・・・ 

「江戸時代この辺は眺望のすぐれた場所の一つで、富士見茶屋という休み茶屋があり、広重の浮世絵にも描かれている。構内にある、高田村砂利場一帯の水田灌漑に利用された溜池は、堀部安兵衞が高田馬場仇討ちのあと、この池で刀の血を洗ったという伝説が後年になって生まれ、『血洗の池』と呼ばれるようになった。」とあります。 

それと、乃木希典が、「院長として起居していた旧総寮部(現『乃木館』)。