六月三日(土)辛酉(舊五月九日 晴のち曇り

 

今日の讀書・・朝刊を見て驚きました。現在讀書中の、杉本苑子さんが亡くなつたといふ記事が目に飛び込んできたのであります。永井路子さんにくらべたら讀んだ本の數は少ないですが、我が「歴史紀行」のために讀んだ 『檀林皇后私譜』(註一) と、永井路子さんとの對談 『ごめんあそばせ 独断日本史』 は面白かつた。いづれ 『二條院ノ讃岐』 や 『滝沢馬琴』 なども讀むつもりですけれど、でも、九十一歳の老衰ですから、萬歳ですね。 

 

今日は、學習院さくらアカデミー、《源氏物語をよむ》 第五回講義でした。「桐壺」の卷、「靑表紙本」のうち、今日は一五頁から二二頁までと、前回よりは進みました。 

今日は、「引歌(ひきうた)」といふ言葉を學びました。「有名な古歌を自分の文章に引き、それをふまえて表現云々」することについては、『伊勢物語』の中にもたびたび出てきましたし、『古今和歌集』 が、『源氏物語』 のなかでもをそのやうに用ゐられてゐることは知つてゐました。が、それを「引歌」といふのだとはじめて知りました。まあ、引用した歌といふことではあるわけです。はい。 

獨學ですと、かういふところが缺けるといふか、視野が狹いためでせうね、その他にも單語の語釋についてはたびたび敎へられて有益であります。例へば、「さぶらふ」は、「目上のひとのそばに控える」ことであつて、誰々が宮中にさぶらふなどと用ゐられますが、天皇に用ゐることはないのであります。言はれてみれば納得です。

 

それにしても、「引歌」が、『源氏物語』 には八百もあると聞きました。そのおほかたが 『古今和歌集』 でせうから、やはり、その影響力はたいしたものなのでありますね。ぼくはまだ讀みかけですが、暗記してゐるわけではありませんので、「引歌」がでてきても、判別できないでせう。素養がないといふことは、その鑑賞をひどくせばめてしまふことでありますから、『源氏物語』 を讀む者は、『古今和歌集』 の素養は缺かせないはづなのであります。 

誰でしたか、すべてを暗記したのは、村上天皇の女御でしたでせうか註二。きつと當時の女性たちは競つて暗記したのでせうね。 

 

なんて言つたら、現代人の歴史や古典文學に關する素養の淺薄たること、恐るべきものでありませう。小松英雄先生や中野三敏さんのお考へを知つてからです、くづし字リテラシーを高め深めることにぼくの人生の目標がシフトしはじめたのは、そのことに氣づいたからでありました。 

それで、今日も歸路、高圓寺の古書會館の即賣展に行きましたが、『歴史をよむ ひろがる史料、あらたなる視点』(東京大学出版会) が目についたくらゐで、ほとんど収穫はありませんでした。 

 

註一・・ちよいと復習、「檀林皇后」と称された橘嘉智子について 延暦5(786)~嘉祥3(850) 嵯峨天皇の皇后。父は贈太政大臣橘清友、母は田口氏。嵯峨天皇が親王のとき妃となり、天皇即位後の弘仁6 (815) 年皇后となった。仁明天皇および淳和天皇の皇后 (正子内親王) の生母となる。皇后は仏法を信じ、多くの仏具を作り、僧をつかわして唐の寺院、僧侶に喜捨した。また壮麗な檀林寺を嵯峨に営んだので檀林寺皇后と称された。天皇譲位後も皇太后として威をふるい、橘氏一門の官位は累進した。弟右大臣橘氏公とはかり、橘氏の学校として学館院を建て、一族の子弟の学習の便をはかった。 

 

註二・・藤原芳子(ふじわら の ほうし/よしこ) 生年不詳~康保4年(967年) 村上天皇の女御。藤原師尹(もろまさ)と藤原定方九女との間の娘。宣耀殿を賜ったので宣耀殿女御(せんえうでんのにようご)と呼ばれる。子は昌平親王と永平親王の二人。 

類まれなる美貌で、目尻が少し下がりめの、非常に長い黒髪だったという。『大鏡』には、誇張もあるだろうが、そんな彼女の様子が、「御車に奉りたまひければ、わが身は乗りたまひけれど、御髪のすそは母屋の柱のもとにぞおはしける(お車にお乗りになれば、ご本人は(車に)乗ってらっしゃるのだが、髪の毛のすそはまだ母屋の柱にある)」と記されている。村上天皇の寵愛も厚かった。そのことに関して、中宮の藤原安子(藤原師輔の娘で、伊尹、兼家らの妹。つまり、芳子とは從姉妹)が非常に嫉妬し、土器の破片を芳子に向かって投げつけたという記事も『大鏡』に記されている。 

また、非常に聡明でもあり、『古今和歌集』二十巻すべて暗記していたという。村上天皇はこの噂を聞き、本当に暗記しているのか試験した。ところが、芳子はすべて間違えることなく暗記していた、という記事が『枕草子』の二十段に皇后藤原定子が語った話として記されている。

 

「村上の御時、宣耀殿の女御と聞きこえけるは、小一条の左大臣の御むすめにおはしければ、たれかは知りきこえざらむ。まだ姫君におはしけるとき、父おとどの教へきこえさせたまひけるは、『一つには、御手を習ひたまへ。次には、琴(きん)の御ことを、いかで人に弾きまさむとおぼせ。さて、古今二十巻をみな浮かべさせたまはむを、御学問にはせさせたまへ』となむ聞えさせたまひける…」(『枕草子』第二〇段)。 

 

今日の寫眞・・杉本苑子さんの死亡を報じる記事。それと、學習院大學學生食堂のラーメン。二五〇圓でしたが、いい味してゐました。