六月二日(金)庚申(舊五月八日 晴

 

今日も、慈恵醫大病院の齒科へ行きました。午後一時の豫約でしたので、午前中を無駄にしないために、神保町の古書會館に行きました。今日と明日は 「城南展」 の出展で、鶴岡出身の五十嵐書店さんにもお會ひすることができました。が、何よりも、搜索してゐた 『色道大鏡』(上中下 八木書店) を發見出來たことは最大の収穫でした。 

それと、『水鏡』 と出會ひました。これも上中下の三卷で、「和本」です。しかも、中卷の表紙を開いたところに、題簽(だいせん)を切り貼りしたと思はれる紙片が貼られてゐて、「爲相卿御筆」と記されてゐます。もしや、冷泉爲相(ためすけ)でせうか。だとしたら、これはたいしたものに違ひありません。本自體が古びてゐて、貴重な古典籍かも知れません。それが、一五〇〇圓でした。岩波文庫で十年ほど前に讀んでゐますが、この和本で再讀したいと思ひます。

 

ところで、病院のはうは、再度膿痕を掃除し、來週さらに治療して行くことになりました。入れ齒は、食事の時だけしてもさしつかへないだらうといふことになりました。 

それで、夕食は、妻ご自慢のハンバークを美味しく噛みしめながら食べることができました。なにせ、今朝の體重が六〇キロを割つてしまひましたから、齒があるなしによつて食欲も變はるのでありますね。自分ながらびつくりでした。 

 

*補註・・『水鏡』(みずかがみ) 歴史物語。成立は鎌倉時代初期(1195年頃)と推定される。作者は中山忠親説が有力だが、源雅頼説などもあり未詳。いわゆる 「四鏡」(大鏡・今鏡・水鏡・增鏡) の成立順では3番目に位置する作品である。内容的には最も古い時代を扱っている。 

*補註・・冷泉爲相(れいぜいためすけ) 1263~1328 鎌倉時代中期から後期にかけての公卿、歌人。冷泉家の祖。正二位・権中納言。権大納言・民部卿・藤原為家の晩年の子。母は 『十六夜日記』 作者として知られる阿仏尼。 

 

今日の讀書・・杉本苑子著 『散華 紫式部の生涯(下)』 を繼讀。父について越前國府に赴いた紫式部(本書ではまだ、「小市」といふ名)ですが、途中で一人歸洛。藤原宣孝と結婚して女兒を生むも、宣孝に死に別れ、そして 『源氏物語』 を書きはじめます。ところがそれが評判になり、藤原道長の目にとまり、娘で一條天皇の中宮彰子に仕へるやうに召されるところまで讀み進みました。

 

明日は、學習院さくらアカデミー、《源氏物語をよむ》 第五回講義ですが、今回は準備に時間を割きませんでした。出たところ勝負で質疑應答ができればいいですけれど・・・。 

 

今日の寫眞・・「爲相卿御筆」の 『水鏡』。開いた頁は、卅三代用明天皇の記述で、その子、聖徳太子の名前が見える。參考のために、すでに讀んだ、岩波文庫版 『水鏡』 を竝べてみました。