五月廿日(土)丁未(舊四月廿五日) 晴、暑い
今日の讀書・・今日は、學習院さくらアカデミー、《源氏物語をよむ》 第三回講義でした。
今日の個所は、帝が、桐壺の更衣を異常なまでに寵愛するので、他の女御更衣をはじめとして、帝の第一夫人たる弘徽殿の女御からも憎まれ、いじめられて、たうとう病かうじて宮中から里歸りするところまででした。難しい言ひ回しが多く、單語の意味や敬語の使ひ方など、細かく分析すれば切りがないといつたところです。
まあ、ぼくなんか、中村眞一郎さんではないですけれど、なるべくスラスラと讀み進めたらいいと思つてはゐるのですが、折角の講義ですから、今後のためにも基礎固めをしたいと思ひます。
それにしても、更衣がもはや取り返しのつかない状態になつても、なほも手もとに置いて慈しみたいと固執する帝の氣持ち、わからないこともありませんが、たしかに異常でありまして、はたしてどのやうな女性であつたのかひと目見てみたいと思はざるを得ませんです。はい。
紫式部には、そんな女性像といふか、イメージがあつたんでせうかね。帝の更衣への思ひ、描くにしても、ちよいとくどすぎるのではないかとぼくは思ひましたよ。
と、ところが、歸路、神保町に立ち寄り、目にとまつた本が本でした。小宮山書店の一册一〇〇圓のワゴンの中に、藤本泉著『源氏物語99の謎』(徳間文庫) を見つけたのですが、〈まえがき〉で、「紫式部が 『源氏物語』 の作者ではあり得ない」と言つてゐるのを讀んで仰天しました。ありやあ~、です。
もちろん、なぜさう言へるのか、が書かれてゐて、言はれてみればたしかにさうかなと、ぼくもつい靡いてしまひさうになりました。紫式部女史が作者でないとすると、これは解釋においても、だいぶぎくしやくするわけで、まあ、ちよいと判斷を停止しておきませう。
今日の寫眞・・爽やかな學習院大學のキャンパスと敎室。
神保町の行列ができる店の一つ、ボンデイ。今日は、ビーフカレーをいただきました。
神保町で求めた、藤本泉著『源氏物語99の謎』(徳間文庫) と、『國文學 古典の敬語を考えるー解釋へ』、合計三五〇圓。
五月一日~廿日までの讀書記録
五月一日 長田弘著 『世界は一册の本』 (晶文社)
五月一日 「ものくさ太郎」 (市古貞次編『御伽草子』 三弥井書店)
五月三日 横山重著 『書物捜索 下』 (角川書店)
五月四日 宮内庁書陵部藏 靑表紙本 『源氏物語〈桐壷〉』 (新典社)
五月八日 「猿源氏草紙」 (市古貞次編『御伽草子』 三弥井書店)
五月十日 市古貞次・徳田和夫 「この人に聞く 御伽草紙研究と私」 (『国文学解釈と鑑賞 特集=御伽草子』 一九八五年一〇月號)
五月十日 藤掛和美著 「テクニカルタームをめぐって」 (同前)
五月十日 徳田和夫著 「〈御伽文庫〉刊行前後」 (同前)
五月十四日 永井路子著 『この世をば(上)』 (新潮文庫)
五月十七日 永井路子著 『この世をば(下)』 (新潮文庫)
五月十八日 角田文衞著 『紫式部 その生涯と遺薫』 (平安博物館)
五月十九日 反町茂雄著 『天理圖書館の善本稀書』 (八木書店)