三月六日(月)壬辰(舊二月九日 曇のち雨

 

さう言へば、一昨日、東京古書會館で、五十嵐書店の御主人にお會ひしたのでした。銀座松屋の古書市でお目にかかつたのはお正月でしたから、二か月ぶりですけれど、やはりいい本を出品されてゐて、西鶴の和本の帙入り 『復刻 日本永代藏』 を求めたのでした。が、そのとき、御主人がぼくをうながして、レジの片隅に呼ぶのであります。 

すると、やをらスマホを出したかと思ふと、畫面を開き、『五十嵐日記』 なる、ご自身が書かれた本を紹介されたのでした。よく聞くと、御主人が書かれた日記を、早稻田大學の先生をはじめとする〈五十嵐日記刊行会〉が出版してくださつたもののやうなんです。 

それを、今朝になつて思ひ出して、ネットで探したら、すぐわかりましたので注文しました。これは面白さうです。 

 

*補注・・『五十嵐日記 古書店の原風景』 昭和28年、地方から一人上京し、ひたむきに古書店で働く五十嵐青年の日常。早稲田で50年近い歴史を持つ、日本文学や日本史に強い古書店、五十嵐書店を創業した五十嵐智氏の若かりし頃の日記。19歳の時山形から上京し、神田の古書店南海堂で10年間働いた後独立した。本書はその間の独立前夜の日記である。 

 

ここに出てくる、「神田の古書店南海堂」には、ぼくもお世話になつてゐて、いつぞやは、『大日本史料』 をまとめて安く買ひ求めることができたところです。まあ、かなり古くて汚れてはゐましたが、三編の十七册と五編の九冊と、六編の一册を、破格といふ次元ではなく、もらつてくれるならいくらでもいいと言つた、まるで投げ賣り値段でゆづつてくださつたのであります。 

これは、近くの圖書館には置いてないし、すぐに閲覧できなければ役にたちません。まあ、かさばりますけれど、歴史を勉強するためには、手もとに用意したい歴史研究の第一級史料です。いや、ぼくは第三級人間ですけどね。 

 

今日の讀書・・ちよつと氣分を變へて、芭蕉の 『奥の細道』 に目を向けました。といつても、『奥の細道』 そのものを讀んだわけではなく、『芭蕉自筆「奥の細道」の顛末』といふ本の、氣になる部分を讀んだのです。 

「第三部奥の細道物語─成立から流布へ」の、 「2 研究史と諸本の伝来」といふところです。それによると、『奥の細道』 の傳來はまことに複雑で、誰がどのやうに借りたり、手に入れたり、また寫したのか、それに出版したのかなどが入り組んでゐるのです。だから、寫本や印刷本を含めた複製はけつこう數があるんですね。

 

實は、ぼくもその何種類かを持つてゐるのですが、それがどれもこれも似たり寄つたりで、といふことは、原本に似せやうとしたのでせうが、どれもが讀みずらい筆(文字)なんです。平安の古筆とくらべたら、明らかにへたですね。 

讀みやすくて、きれいな文字なら、芭蕉の筆に似せなくたつていいのに、わざわざ讀みずらい文字にしてゐるところなど、これをなんと言つたらいいんでせうね。一種の敎条主義とでもいふのですかね。あ~あ、いやだいやだ。でも、ほんとにへたな人が寫したのかも知れませんので、決めつけるのはやめておきませう。 

 

今晩は、ノラネコが五頭、明日の避妊手術をひかへて我が家にお泊りです。ノラネコの世話をしてゐるお年寄りが、子どもが生まれたらどうしやうと惱んでゐるのを聞きつけた妻が、いつものカツネコの協力者とともに、捕獲しに行つたのでした。 

ただ、すでになかば内ネコのやうなノラですので、十五分ほどで五頭すべて捕獲できたさうです。なにしろ、捕獲に何時間もかけて、からだが凍えてしまふこともあるさうなので、今日は、妻もるんるんで歸つてきました。 

それに、そのご婦人、一應裕福なお方のやうで、費用をすべてもつてくださるといふことですので、いつもかうなら申し分ないのにね、とつぶやいてゐました。

 

今日の寫眞・・今日も、仲よしモモタとココ。 

それと、『奥の細道』 の諸本。四枚目は、四種類の寫本(複製)。