二月十六(木)甲戌(舊正月廿日 晴

 

昨日、淸水からマリちやんと娘のサトちやんがやつて來ました。三泊四日の豫定で我が家に滯在し、サトちやんが、二つの大學の入學試験を受けるためです。 

それで今朝はマリちやんとともに、一つ目の入學試験のために御茶ノ水まで送つて行きました。 

サトちやんには、待ち合はせ場所を告げ、試驗會場に入つて行くのを見屆けたあと、マリちやんとどこへ行くかを考へ、さう、川和へ行くことにしました。ぼくが八年間過ごした、横濱市緑區(現在は都筑區)の川和町です。マリちやんはぼくが川和を出て以來、訪ねたことがないやうで、それはもう二十數年も前になります。 

マリちやんはそれから後に結婚し、子どもも生まれ、その子が大學受驗といふのですから、月日のたつのがいかに早いか、いや殘酷なものかが知れるといふものです!

 

で、神保町驛から乘車し、半藏門線・田園都市線で市が尾驛まで行きましたが、あらためてその距離のあること、けつこう時間がかかりました。 

市が尾驛周邊はぼくもほとんど夢の世界。あれこれ腦裏をさまよつてゐると、むしろマリちやんのはうがよく覺えてゐて、まづ、驛前の中華ソバ屋、“大寛”を發見! 

いやあ懐かしい、の一言! よくタンメン餃子を食べたものでした。開店前の店内をのぞいて見たら、もうすべて當時のまま、突然郷愁が襲つてきました。 

だからといつて、まだ食べられる時間ではないので、横濱か中山方面行のバス停を探しましたが、これまた一苦勞。見つけてみれば、さうだつたなあと二人して顔を見合はせてしまひました。

 

さういへば、舊道經由のバス路線で、あれ、「川和法務局前」バス停がなくなり、「川和團地下」バス停と改名されてゐて、降りそこなふところでした。が、あたりは十年、いや二十年一日のごとくちつとも變はつてはゐませんでした。 

ぼくが暮らした建物もまつたく同じに見えました。裏に回ると、焚火をして樂しんだ小さな庭とそこに聳える欅の大木も變はらず。保育園のはうをのぞくと、焚火の煙がたなびいてゐて、やはり健在、まつたく昨日のごとく變はつてはゐませんでした。 

人目につくとめんどうなので、マリちやんと思ひ出を語りながら、舊シルクロードの路地を通つてもどりました。マリちやんははじめてといふ横濱市營地下鐡グリーンラインの川和町驛から、センター北驛まで行き、そこの何とかモールで食事。豫定のコースをすませたので、あざみ野驛經由で再び神保町にもどり、三省堂でサトちやんと合流して歸宅しました。 

 

今日の寫眞・・試驗會場に入つて行くサトちやん。市が尾驛の“大寛”前にて。 

川和敎會。毎日その下で焚火をして樂しんだ欅の大木も健在! それと、川和保育園をのぞいてみました。ぼくがはじめて素手で火を熾したのは、卒園式のときだつたのではないか? 心配する保母さんや園兒たちの前で、ポツと白い煙が起こり、つづいて炎が飛び散つた、あの日あの時の感激が忘れられません。 

さらに、歸宅後、ネットで「川和保育園の画像」を見たら、まあ、寺田園長さんもお元氣さう。また、お世話になつた保母さんが寫つてゐた寫眞をみつけたので轉載させていただきました。 

最後は、八木書店で見つけた、『変体がなで読む日本の古典』(新典社)。ぼくがめざすといふか、人生の目標としてゐるテーマを掲げた本を見て、思はず手にとつてしまひました!