二月十五(水)癸酉(舊正月十九日 晴

 

今日の讀書・・また、ゆうべはものすごい本と出會つてしまひました。ちよいとテレビで映畫を見てしまつたので、寢床に入つた時には、かなり眠かつたのですが、讀みはじめたら目がさえてきて、またまた興奮してしまつたのであります。ですが、その本自體に興奮したのではありません。 

讀んだ本は、繼讀中の、紀田順一郎著『新版 古書街を歩く』(福武文庫) ですが、あとわずかだから讀みきつてしまはうとしたのが間違ひのもと。その、「復刻で蘇った学究の人生」 といふ章で、『群書索引』・『廣文庫』 なる書と、またそれをものした著者父子の壮絶なる人生を知つたからでした。 

物集高見・高量父子。またなんと讀むのだらうと思つたら、「もづめたかみ・たかかず」ですつて! さういへば、どこかで聞いたことのある名前だなあと按じたら、なんのことはない、つい最近求めたばかりの本で見たのでした。 

二〇〇圓でしたから、無駄になつてもいいからと購入したのですが、その本とは、名著普及會出版の、『群書索引・廣文庫 概要 昭和五十一年四月六日 廣文庫出版記念』 といふ、中途半端な内容の本なのです。何故中途半端かと言ひますと、要するに、このニ書の宣傳のための内容で、『群書索引』・『廣文庫』 兩書のさわりだけ掲載されてゐるだけだつたからです。 

もつとも、ほんものは、『群書索引』 が三册、『廣文庫』 にいたつては、二十册もの全集本なみの大著なのであります。すなはち、この書をもつて、これらのニ書がいかに有益かつ重んぜられるべき書であるかを世に知らしめたい、その情熱にあふれた本だつたのです。 

 

ですから、寒かつたですけれども、本書を出してきて、頁をめくつてみましたよ。目次通り、順に、「『群書索引』『廣文庫』の生い立ち」、「物集高見略歴」、「物集高量略歴」、「『群書索引』『廣文庫』とは」、「未曾有の大事業『群書索引』『廣文庫』を推す」、「続々と寄せられる賛辞激励」、「すでに定評ある本書の価値」、それに、物集高量ご自身の、「思い出すことども」、出版社社長の小関貴久の「再販に当たって」、同じ会社の出版部長今井育雄の「物集高量翁との出会い」 を讀み、そして、『群書索引』内容見本冒頭の、物集高見の 「諸言=本書の成れる故よし」を讀んでゐる途中で寝てしまつたやうなのであります。 

いやあ、すごいです。あちこちで言はれてゐるやうに、『古事類苑』 と似てゐるらしいのですが、あちらは、公權力を後ろ盾にした神社廳の編纂ものですが、こちらはまつたく個人の努力によつてなされた、『古事類苑』 よりずつと便利で使ひやすい書のやうなんです。とくに、『古事類苑』 のはうでは、時の公權力が伏せたい記事、眞實を知らせたくない内容は省いてあるらしいのを知つて、ぼくは一氣に物集ファンになりましたね。 

例へば、池田龜鑑著『平安朝の生活と文學』 なんて、『群書索引』・『廣文庫』 がなければできなかつたらうと言はれてゐます。 

 

書き忘れるところでしたが、『群書索引』・『廣文庫』 は、準備期間をふくめて三十年、大正五年(一九一六年)に出版されました。が、それまでの苦勞話は筆舌に盡しがたいものがあります。「本をめくる指先が裂け、視力を失い、十万卷の書物購入のため財産も尽きて田畑や本宅を売り払い、ついには病臥していた蒲団までも債権者に抑えられるような悲惨な状態」のなかで執筆し、完成されたのです。 

それから六十年ぶりの復刊といふか復刻された、そのときの宣傳の一環としてだされたのが、この 『群書索引・廣文庫 概要 昭和五十一年四月六日 廣文庫出版記念』 だつたのです。 

 

それで、また起きて、パソコンを起動させ、「日本の古本屋」を呼び出してみました。はたして入手できるものなのでせうか。そしてその値段はいかほどなのか、胸をときめかして畫面に集中しました。 

さて、檢索したら、八十二件見つかりました。ありました、『群書索引』三冊だけですと、最安値が二八〇〇圓。補訂を合はせては、五四〇〇圓。 

『廣文庫』は、二十册だけでは一八〇〇〇圓、補訂つきの二十一册で二二〇〇〇圓といつたところです。 

でも、これは、全巻(補訂共)揃つてこそ使へる書ですから、それはもう亂高下激しく、最も高いのは七二四五〇圓、安いのが、二五〇〇〇圓。これは慶文堂書店さんの出品です。と、まあ、買へないこともない金額であり、また手に入りにくい書でもなささうなので安心しました。 

問題は、金額ではなく、いかに見つからないやうに、密かに買ひ入れられるかであります。なにしろ、本の内容や質の問題ではなく、本が増えること自體が我が家では大問題、とされがちなので、常に波立たないやうに、静かに、そつと購入しつづけてゐるわけで、ここで、一氣に二十五、六册もの本がどつと運び込まれてきたら、もう大變。それを思ふだけで尻込みしてしまひます。 

 

紀田順一郎著『新版 古書街を歩く』(福武文庫) 夕方になつてやつと讀み終はりました。風邪はどうにかおさまつたやうですが、頭の回轉がもどりません。で、またつづけて、「お待たせしました─歴史文学賞受賞のデビュー作! 名編で味わう至福のひととき」なる、「帶」の言葉に惹かれて讀みだしたのが、『黒牛と妖怪』なる面白本です。いやはや! 

 

今日の寫眞・・『群書索引・廣文庫 概要 昭和五十一年四月六日 廣文庫出版記念』 の目次等。この本、二〇〇圓だから買ひましたが、「日本の古本屋」では、一五〇〇圓とか一九〇〇圓、この値段だつたら見向きもしてなかつたでせうね。 

それと、讀み終はつた、紀田順一郎著『新版 古書街を歩く』(福武文庫) と 風野真知雄著『黒牛と妖怪』(新人物文庫)。