二月九日(木)丁卯(舊正月十三日 氷雨のちみぞれ

 

今日の讀書・・一昨日宅配便で送つてもらつた本が屆きました。佐村八郎著『増訂 國書解題』(臨川書店)、その他です。分厚い二册本だつたので送つてもらつたのですけれど、二冊合はせて約十三センチメートルありました。一册でも枕に十分です。 

それで再度調べたら、なぜバカ安で買へたのかが分かりました。上には上があつたんです。曰く、「『国書解題』を質・量ともに凌駕する国書の解題目録として企画され」た、『国書総目録』(全八巻、索引一巻 岩波書店)が、一九六三年から一九七六年にかけて出版されてゐたからなんですね。ちよいと悔しい感じもしますが、當面は、『國書解題』 で滿足したいと思ひます。 

で、ネットの《日本の古本屋》で見たら、堀切の靑木書店で、全九册が、一五〇〇〇圓で賣つてゐるんです! 惹かれますが、今はやめておきませう。 

 

實は、もう一册、『昭和天皇実録 第一』(東京書籍) が安かつたので買ひました。「六國史」の『三大實録』にひきつづき出された實録ものの後繼本と言つていいのでせうか。その「六國史」に準じて、明治時代以降に編纂されたのが、『孝明天皇實録』と『明治天皇實録』と『大正天皇實録』であり、この『昭和天皇實録』です。 

この「第一」卷は、昭和天皇が誕生された明治三十四年から大正二年までの十二年間の事柄が記されてゐます。興味深かつたのは、正月一日の記述です。やることは平安時代とだいたい同じやうです。ただ、どこでお正月を迎へたかが氣になりました。 

その年により異なるのです。大磯町の侯爵鍋島直大別邸が一回(天皇一歳)、川村伯爵沼津別邸と沼津御用邸が合はせて八回(天皇二~八歳、十一歳)、修善寺菊屋旅館別邸が一回(九歳)、熱海御用邸が二回(十、十二歳)です。 

だからどうしたのと言はれても困りますが、御用邸なるものがあちこちにあつて、天皇も幼少時から落ち着かない生活を強ひられてゐたんだなあと思ひました。 

 

讀書についていへば、今日は、海音寺周五郎著『悪人列伝 中世編』(文春文庫)の中の、「藤原兼家」を讀みました。『日本紀略』 の參考書といふか、肉付け本として讀んでみました。兼家がいかに惡人であるかが主眼の内容でありましたけれど、むしろ、當時の天皇の姿が面白く描かれてゐて、さらに興味が惹かれました。 

ただそれだけでは讀み流してしまふので、そのなかで引用されたり紹介された原典を自分の目で見て讀んで確認することにしました。 

「古事談によると、」とか、「栄華物語にくわしいが、」とか、「大鏡にある話だが、」とか、「愚管抄によると、」とか、「今昔物語によると、」とか、もちろん、『日本紀略』もふくまれます。當然手間ひまはかかりますが、まあ、言つてみれば、これこそ讀書の醍醐味、歴史を學ぶ初歩ではないでせうか。なんて、できれば、原典の本元といふか本文の寫本あたりを讀めたらまたさらに自信がつくのでせうがね。 

 

また、パワーポイント版からワード版化してゐる 「歴史紀行」 の四卷が昨日仕上がつたので、今日から、その第五卷 『平安京編一』 に入りました。 

 

*補注一・・改めて、『国書解題』について 上古から近世末にいたる間の国書約25,000点を採り、書誌的事項(書名、巻冊数、写本・版本の別、編著者名等)を記し、解題(成立、版行の経緯、同年月、序・跋文、内容の解説、必要に応じて別本、異版、著者の小伝などを付記)する。索引は1.分類索引(12部門)と2.叢書索引を併せ、検索の便をはかる。図版12枚。 

 

*補注二・・ところが、上には上があるもので、『国書総目録』 とは、古代から慶応3年(1867年)までの間に日本人により著述・編纂・翻訳された書籍の所蔵先をまとめた岩波書店発行の目録である。全8巻、索引1巻。 

編纂の概要は、 1939年、岩波書店創業者の岩波茂雄の発案により、1897年から1900年に佐村八郎により刊行された『国書解題』を質・量ともに凌駕する国書の解題目録として企画され、辻善之助を編纂主任として編纂が開始された。翌年には新村出が副主任として参加し、その他森末義彰・市古貞次・亀井孝らも加わった。『群書類従』、『古事類苑』とともに、「三大編纂物」と称される。 

 

今日の寫眞・・佐村八郎著『増訂 國書解題』(臨川書店) と 『昭和天皇実録 第一』(東京書籍)。海音寺周五郎著『悪人列伝 中世編』(文春文庫)を中心に、參考にした原典の數々。