二月五日(日)癸亥(舊正月九日 曇りのち雨

 

ゆうべは早く寢たので、今朝六時過ぎには目が覺めました。トイレに行き、體重と血壓と酸素量をはかつてベッドに戻つて氣がつくと、日曜日の朝でした。さうだと思ひ、久しぶりに、NHKラヂオ第二をつけました。やつてゐました。《古典講讀》です。 

第一七〇話「慈覺大師、纐纈城に入り給ふ事」の途中から聞きはじめ、第一七一話「渡天の僧、穴に入る事」と、第一七二話「寂昭上人、鉢を飛ばす事」の三話を聞きました。いつ聞いても聞きやすくて、心ときめくおはなしの伊東玉美先生。一度か二度でもお會ひしたいものです。

 

なんて聞き流してゐたら、つづいて、《こころをよむ》といふ番組にかはり、それがまた、「源氏物語に学ぶ十三の知恵」といふ主題なのであります。講師は、お名前だけは知つてゐる、島内景二先生で、けさの題は、「『和』の精神で楽しく生きる」。 

── 今回のキーワードは「和」。「和」の精神とは何か、というところを源氏物語から学びたい。源氏物語の主題が「和」であるという、驚くべき発見をしたのは、15世紀に活躍した一条兼良(いちじょう かねら、かねよし)という人物である。一条兼良が著した源氏物語の注釈書『花鳥余情(かちょうよせい)』を取り上げ、「和」の力で人生を楽しく生きることについて考える。 ── 

いやあ、横になつて聞いてゐましたが、あれこれメモしはじめたら、正座をしてゐました。一條兼良さんは、「中仙道を歩く」にもたびたび登場していただいたおなじみの方ですが、たいへんな知識人なんですね。

 

『源氏物語』は、それを書いた紫式部をのぞいて、今日までに五人の學者によつて、その解釋が變へられたといふか、その思想がより深められてきました。まづ、藤原定家、つづいて四辻善成、そのつぎに一條兼良がゐて、さらに北村季吟に本居宣長。最後はアーサー・ウェイリーだと島内先生のお話であります。 

定家と兼良と季吟と宣長については多少なりとも知つてゐましたが、アーサー・ウェイリーさんは英譯者であるとだけしか知りませんでしたし、四辻善成なんてだれなんでせうか。また課題が増えてしまひさうです。 

さう、ウェイリーさんは來日せずして譯したやうなんです。それは、「日本に幻滅したくなかったからだ」との憶測が語られてゐるやうですが、また、老子の 「戸を出でずして天下を知り、窓を窺わずして、天道を見る」 との敎へを實践したともいはれてゐます。 

 

今日の讀書・・昨日と今日の日記を書くのに手間取つて、ほとんど讀めませんでした。でも、そろそろ、『日本紀略』に立ち返り、それに基づいて、枝葉となる參考書を讀み進んで行こうかと思ひます。 

 

千葉市を再発見しよう!》(六)

 

なんでトヨペット? と思ひましたよ。それが近づいて、そしてよく見て分かりました。 

「千葉トヨペット本社は、明治32年(1899)に東京千代田区の内幸町に建てられた日本勧業銀行の本店だった建物を移築してきたものであり、国登録有形文化財になつている」んださうであります。 

また、「建物は、木造2階。その後、大正15年(1926)に千葉県習志野市の旧京成谷津遊園へ、昭和15年(1940)に現在の千葉県警察本部所在地へ移築され、昭和36年(1961)まで千葉市役所庁舎として使用されていた。昭和40年(1965)に、国道14号に面する現在地へ移り、千葉トヨペット本社として利用され、今に至っている。」 

とまあ、八津遊園まで出てきましたよ。懐かしいけれど、この建物、ぜんぜん覺えてゐませんねえ。大正15年(1926)に、「京成電気軌道(現京成電鉄)に売却され、『谷津遊園楽天府』として阪東妻三郎プロダクションが使用した」、ともいふのですが? 

それにしても、著名な建築家によつて設計されたやうで、たしかに、「寺社建築に用いられる唐破風を持つ中央の玄関から、左右対称に長くのびる和風を基調とした特異な外観に特徴がある。」 大塚さんのお薦めがなければ氣づきもしませんでした。これで朝から、「國登録有形文化財」を二件も見てしまひましたね!

 

さて、國道を渡り、舊道なんて言つたら失禮ですが、京成稻毛驛につづく昔ながらの緩やかな坂道を歩きながら、ぼくはこの道はいつか來た道だなあと感慨をあらたにしました。(つづく) 

 

今日の寫眞・・千葉トヨペット本社の畫像と玄關内のパネル。その前で電氣自動車に戯れる。