二月三日(金)辛酉(舊正月七日 晴

 

今日の讀書・・古本漫歩に出かけたいのをこらへて、千葉市を再発見しよう!》を書きつづけ、その間を縫つて、『宇都保俊蔭』を讀みつづけました。へんてこな物語です。俊蔭君、秀才だつたやうで、遣唐船で唐に渡り不思議な體驗をします。 

また、昨日、『歴史紀行』 のワード版化について、寫眞の畫素數の調整に時間がとられると書きましたが、三册目に入つたところで、寫眞を「ピクチャ」からではなしに、パワーポイント版册子から直にコピーしたら、それが簡單にできるんですね。さらに短時間で仕上げられさうです。

 

千葉市を再発見しよう!》(五)

 

つづいて、廣々とした公園の中を歩いて、「民間航空発祥の地碑」 にやつてきました。遠淺の砂濱をそのまま土盛りして公園にしたやうです。と思つたら、なに、ここに飛行場を作つてしまつた人がゐたやうなんです。それで「民間航空発祥之地」なんですね! 

それも、1912年(明治45年)ですから、ぼくが海水浴に來てゐた頃よりもずつと昔のことで、はたして、そんな光景を見たことがあつただらうか? 

まあ、それはそれとして、歩いていくと、小さな蒸氣機關車が保存されてゐまして、「これは、昭和28年から43年まで、川崎製鉄千葉製鉄所で資材や原材料などを運んでいたSLだそうです。」

 

さらにその先に、「民間航空発祥の地」の記念碑が建つてゐました。「高さ・幅とも9メートル。翼をイメージした頂上部と、その下のプロペラと鳥をイメージした部分からなります」、とありますね。見上げるやうな高さです。 

また記念碑の隣には、立派な松の木が何本かあつて、これは、「日本で初めて飛行機が飛んで50周年を記念して、1960年に植えられた松」で、なんでも、「アメリカ・ノースカロライナ州知事から贈られた、ライト兄弟が初飛行に成功したキティホークの丘の松の木の種から育てたもの」なんだそうであります。いやはや、松ともども歴史的記念碑なんですね。 

でも、それも今は昔。現在は、「埋め立てられ、JR京葉線が近くを走り、巨大な団地群が広がり、いろんなお店もたくさんあって、完全なベッドタウン」になつてゐます。もう、それがいいとかわるいとかの次元を超えてしまつてゐます。

 

たしかに、記念碑と松のそばには、また「礎」なる石碑が据へられてゐて、漁業權を蜂起、ではない放棄せざるを得なかつた事情が述べられてゐます。 

「この碑は明治初期より貝類のり漁場として代々漁業を営み又関東一の汐干狩り海水浴場としてひろく親しまれた稻毛の海でしたが国土開発に協力し埋立てのため昭和四十四年六月解散した記念です 千葉市稻毛町漁業協同組合」 

さて、つぎは、京成稻毛驛に向かはうとしたら、大塚さんが、あの千葉トヨペット本社を見て行こうよと言つて、國道沿ひに建つお寺のやうな建物に引つ張るのであります。何なんでせう。(つづく) 

 

今日の寫眞・・公園全景。小さな蒸氣機關車と民間航空発祥の地碑、他。