正月廿六日(木)癸丑(舊十二月廿九日 晴

 

千葉市を再発見しよう!》(一)

 

今日は、定例となつた 《東山會》 その第四回歴史散策でした。 

《東山會》とは、約三年にわたつて中仙道や北國街道を一緒に歩いた「仲間」で作つた歴史散策愛好グループでありまして、第一回は横濱港散策(二〇一六年二月十五日)、第二回は深大寺散策(同五月二十五日)、第三回は高麗歴史散策(同九月十六日)、そして今日はその第四回めで、「千葉市を再発見しよう!」といふテーマのもとに、稻毛海岸と、千葉市立郷土博物館を訪ねて千葉氏の歴史を學びました。 

 

集合はJR稻毛驛。ぼくははじめ京成稲毛驛からJRまで歩こうと思ひましたが、JRから京成へと、あとでまた同じ道をたどることがわかり、直接JR稻毛驛に行くことにしました。つまり、船橋驛で京成線からJRに乘り換へて稻毛驛に向かひました。 

一〇時に集合。參加者は八名。今日のリーダーといふか、案内をかねた幹事さんは永田さんです。久しぶりの挨拶もそこそこに歩きはじめました。 

いただいた豫定通りに、ほぼ西に向かひ、京成線をわたつて直接稻毛公園に到着し、まづは全員で記念寫眞。かつての稻毛海岸にあたる松林のなごりでせうか、根上がり松なども見かけました。説明板によれば、「稻毛の松林として、日本の名松一〇〇選に選ばれた」さうです。 

リーダーの永田さんは、以前千葉でお仕事をされてゐたことがあり、そのときのお知り合ひの協力で、今回の散策の計畫をしてくださいました。たしかに、近隣にお住まひでなければ知りえないやうなコースでありました。

 

實は、稻毛海岸と聞いて、ぼくは子どもの時に家族親戚ともども、海水浴と潮干狩りにたびたびおとずれたことを思ひ出し、その時代の寫眞を持參してきたのであります。さう、かれこれ六十年前にもなる白黒寫眞です(昨日の寫眞參照)。その寫眞に寫つてゐる場所がまだ殘つてゐるのかどうか、鳥居と祠がある大きな岩が目印ですが、せめて場所を確認できるか、いはばぼくのアイデンティティ確認の密かなる野望といふか願ひを心に抱いてやつてきたのであります。

 

稻毛公園を通り抜けると、そこは海岸ならぬ國道14號線でした。どうも、ここらあたりが以前の海岸線だつたやうで、國道を境にして、家竝みの樣子ががらりと變はつてゐます。すると、永田さんが、自轉車をころがしてきたおばさんに、道を尋ねたのです。第一の訪問場所の傳兵衛さんの別荘を聞いたらしいのです。みなさんはじめてのところで、それこそ右も左も分かりません。でも、どうにかおばさんの言ふやうに國道を右に曲がつて行くと、そこに、「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」があらはれました。(つづく) 

 

今日の寫眞・・稻毛公園松林にて記念寫眞。六〇年前の稻毛の海岸。遠くに松林が見える。「旧神谷伝兵衛稲毛別荘」入口駐車場にて。案内してくれたおばさんも一緒。 

そして、「稻毛散歩マップ」。赤い線は歩いたところ。