正月十二日(木)己亥(舊十二月十五日・望 晴

 

今日の讀書・・今日から心新たに、『一條攝政御集』 を讀みはじめました。『蜻蛉日記』 につづいて豫定してゐた本です。歴史の骨格としての、『日本紀略』 や 『百錬抄』 を肉付けするための讀書でありまして、氣の遠くなる作業であることは重々承知の助、ですから、さらに励まなければなりません。もちろん樂しみながらですが、この 『一條攝政御集』 、時の攝政藤原伊尹(これまさ 九二四~九七二年)の歌集、と思ひきや、なんのなんの 『伊勢物語』 と類似した歌物語なのであります。 

それも、「卑官の人物(豊蔭)に仮託した恋物語的歌集」なんです。當時の政治状況を垣間見られるかなといふ期待があつたのですが、なんだか肩すかしをくつた氣持ちです。ですから、もともとは、『一條攝政御集』 ではなく、『とよかげ』 と呼ばれてゐたさうです。 

『大鏡』(一〇七七年前後成立)の 「太政大臣伊尹のおとど」 の章に、「このおとど一條攝政と申き。これ九條殿(師輔)の一男におはします。いみしき御集つくりてとよかけとなのらせ給へり」、とありますから、たしかに歌集といふよりは物語として讀まれたゐたやうであります。 

でも、伊尹は、天禄元年(九七〇年)五月に攝政になつてゐます。伊尹自身は九七二年に亡くなり、この集が没後に編纂されたとはいへ、最高權力者が書いてゐるわけで、なんと平和な時代かと思ひます。

 

「丁度、伊勢物語において、人々が 『昔男』 と実在の在原業平の二重うつしを楽しんだように、『大蔵史生倉橋豊蔭』 と実在の 『藤原伊尹』 との間のギャップによる面白味をねらって書かれてゐる」さうです。で、また戀物語。男と女の複雑なやりとりの展開でありまして、實踐經驗の乏しいぼくには、勉強になるといふよりも、いささか食傷氣味であります。 

が、まあ、くづし字のお勉強をかねての讀書ですから、讀解力をつけるために、文机を前に取り組みました。ところが、それがまた難しいと言ふか、實に個性的なくづし字で、『伊勢物語』 で氣をよくしてゐた、今まで積み重ねたきた自信がいつぺんに吹き飛んでしまひました。 

テキストは、『一条摂政御集』 (〈一楽古筆叢書〉 桑田笹舟解説、内山松魁堂、刊記不明、紙箱入・13x14cm・複製) です。三年半前に京成八幡驛前の山本書店で求めた本です。そのときには高價だなと思ひつつ求めたのですが、調べたら、まあ、現在はさらに高いこと、やはり買つておいて正解でした。 

それはそれとして、これは當然レプリカなんですが、「西行筆」といはれ、名筆なんださうです。 

「この一条摂政集は運筆縦横で筆の冴えは群を抜いている。それに墨つぎの妙を極め、配字連綿の絶妙さと、情趣の展開によって多面的に表現の種々相を見られる」、とまあ、これが解説者の辯であります。が、ぼくは、もつと分かりやすい文字を書いてほしいですね。 

 

今日の寫眞・・『一條攝政御集』 冒頭と、おてんばなココ。