正月九日(月)丙申(舊十二月十二 雨のち晴

 

今日の讀書・・今日も、『伊勢物語』 を鋭意繼讀。第百十二段まで讀みすすみました。第百二十五段までですから、今夜中には終へることができさうです。それにしても、『蜻蛉日記』 くらべたら、どれだけ讀みやすいことでせう。 

でも、それでも、あらためて、くづし字(變體假名)の難しさを堪能いたしました。一文字の形も大事ですけれど、文脈のなかで讀みとることが必要なんです。「か」と「り」、「う」と「そ」、「つ」と「へ」など、ひとつの言葉としてや文の流れの中で理解しなければ、かへつて振り回されるだけなんです。讀んでゐて意味が分からなければ、必ず讀み違へてゐることに氣がつきます。歴史的假名遣ひについても同樣です。その氣づきが早いかおそいかが、讀む速度といふことになるでせうか。 

元日に、ドイツ在住の三輪君から次のやうなメールをいただきました。

 

「正直言いまして、淳ちゃんが、当たり前のように読んでいる古文資料や文献や小説や伝記や文学や思想書の抜粋と引用には、漢字が読めなくて戸惑うことが多いのですが、読めなくて、飛ばしてでも、通読することを心掛けているんです。理解は、不正確だし、いい加減だと思います。独逸語より遥かに難しいです。でも添付された写真や資料を眺めて、読んでいますと、面白いもので、何か感じるものがあるんですね。大和の国の歴史でしょうかね。将門さんも興味深い人ですが、将門解釈の歴史と影響史が面白いですね。将門のことなど何も知らなかったですから。」

 

と、まあ、實に好意的に讀んでくださつてゐてありがたいの一言につきるのですが、ドイツ語より難しいつてほんとうでせうか。ぼくは、早々に横文字にはギブアップしてしまひましたから、ほんとうのところはわかりませんが。 

そもそも、中學一年生の英語の授業の初つ端に、「ヂスイズアペン」を、「これはペンです」と言はれて、だから何あに、と思つたときから、外國語はぼくにはまつたくかかわりのない言葉でありまして、外國語でものを考へるなんて想像もできません。 

それにくらべると、今讀んでゐるくづし字と歴史的假名遣ひは、ぼくをふるさとに導く言葉のやうに感じるのであります。ぼくが思ひ、考へ、表現する言葉を裏打ちしてくれるといふか、保證してくれると言つていいのか、とにかく今日ぼくたちが喋り、書き、見たり聞いたりすることばを包括する言語世界が、くづし字と歴史的假名遣ひにはこめられてゐる、とぼくは今さう思つてゐます。くづし字と歴史的假名遣ひこそ、ぼくを養ひ育ててくれる言葉だといふことです。

 

それと、くづし字と歴史的假名遣ひで書かれた、といふことは、くづし字と歴史的假名遣ひで考へられた言語世界、それは歴史的世界そのものですが、その世界を理解するには、根を失つた現代語では不可能である、とぼくは思ひます。まがりなりにもくづし字と歴史的假名遣ひによつてつながつてゐた歴史が、くづし字と歴史的假名遣ひを棄てたことによつて根無し草となり、そんな現代語で、はたして、豊饒なわが 「大和の国の歴史」 に分け入ることができるでせうか。 

いやいや、新年早々熱くなつてしまひました。さて、つづいて何を讀みませうか。このへんで、「血沸き肉躍る面白本」にもつきあつておきたいと思ひます。 

 

今日の寫眞・・今日の切り抜きと、ひざに抱かれて甘えどほしのモモタとココ。