正月八日(日)乙未(舊十二月十一日 曇天のち雨

 

今日の讀書・・久しぶりです。昨夜は寢られませんでした。讀みはじめた本が面白くて面白くて、胸がわくわく、外が白みはじめたころになつてやつとうとうとすることができました。 

その責任は、一昨日求めた中野三敏さんの 『本道樂』 (講談社)です。内容は、ずばり、本道樂です。本の帶の言葉をそのまま寫しておきませう。

 

「平台から拾い上げた、数々の雜本稀本。本郷木内書店、神保町大屋書房、名古屋藤園堂、京都竹苞楼、等々和本屋老舗の御主人たち、じつに多くを教わった。 

三古会・掃苔会の古老たち、書誌の巨人・名だたる愛書家、ただただ恐れ入るばかり。江戸研究の泰斗がつづる、書き下ろし想い出の記。」

 

まづ、初つ端から、古本屋の存在を力説してやみません。 

「学ぶ人には、古本屋の存在は必要不可欠である。それはまちがいなく図書館以上の存在である。・・・図書館というのは、だいたい見たい本を見に行くところであり、ということはどんな内容かがあらかじめわかっている本を請求して見せてもらうのが殆どだが、古本屋の店頭はそうではなく、中身がなにとも知れないものを、その場で心置きなく知ることができる場だということである。極言すれば図書館は知識を確かめる場であり、古本屋さんは知識を発見する場であるということになろうか。」

 

まつたくその通り、我が意を得たりですね! さらにつけ加へれば、どのやうな本と出會ふかは、まつたく未知の世界でありまして、むしろ、出會つた本に導かれるやうにして深まる世界は、一種、自己發見、といふかアイデンティティー構築作業みたいなところが讀書にはありますね。 

ぼくなんかは、ただの興味本位ですから、統一的なテーマなどないにひとしいわけですが、それでも、新たなる對象への關心の高まりを通して、自分といふものが分かつてきてゐるのかも知れません。 

例へば、將門だつてさうですし、一休や妙好人、そして西鶴に秋成に良寛に荷風などの本が集まりつつあるのでありまして、これが今のぼくだ、といふしかありません。

 

また、中野先生は、早稻田の學生のとき、指導敎授らと毎年、圖書館めぐりをしたと言ひます。「天理では大教会の詰所にとめてもらい、・・・奈良は日吉館の鳥小屋改造の部屋を味わい、・・・天理図書館の外見と書庫のたたずまいには一種のカルチャーショックを受け」、そして、かうも言つてゐます。「次第に図書館というものの持つ意味に気づかされ、ようやく国会図書館の存在の重さが頭の中にちらつき始めた」。もとめる文獻を探す學者には必要なところといふわけでせう。 

ぼくは、有栖川宮記念公園にある都立中央圖書館には行つたことがありますが、國立國会圖書館はまだです。中野先生はさらに、「国立国会図書館の蔵書の奥深さは、どれほどのものかはかり知れない」、とし、それには、「国立国会図書館を利用するだけの器量」が云々、と聞いては、ぼくなんかお手上げです。 

といふか、圖書館に本を求めるといふことは、進む道を決めてしまふやうなものですから、ぼくの性には合ひません。器量ももちろんありませんけれど。 

 

また、つづいて、『伊勢物語』 を繼讀。第八十一段は、左大臣源融の邸宅、「河原の院」の庭園を「鹽竃」に見立てたはなし。第八十二段は、「水無瀨」の離宮を訪ねた在原業平が、失意の惟喬親王とともに、「渚の院」の櫻の木の下にて酒を酌み交はすはなし。そこで一句。 

〈世の中にたえて櫻のなかりせば 春の心はのでけからまし〉 

 

今日の寫眞・・「河原の院跡」と「水無瀨神社」と「渚の院跡」。それと、『伊勢物語』の主人公ともいふべき在原業平の墓。すべて、二〇一一年十二月卅日から、二〇一二年正月にかけての、『歴史紀行 六 平安京編二』 で訪ねた寫眞です。