十二月八日(木)甲子(舊十一月十日 晴

 

今日の讀書・・近頃、いやだいぶ前からですが、どうにかしてゐるやうで、同じ本を買つたり、買ひさうになつたり、はたまた同姓同名の別人の本を求めたりして、ちよいと腐つてをります。 

同姓同名の間違ひから言へば、先日讀んで感心した小林勇さんの本ですね。アマゾンで調べてゐたら、この人、東海道と奥の細道を獨りで歩いた本が出てゐたので求めたら、まつたくの別人でした! でも、内容は關心があるので、返品はしませんでしたが。 

それと、同じ本を買つてしまふことはよくあることで、これは例へば、當座は必要としないけれど、關心があつて集めてゐる本に多くあります。親鸞關係、宗良親王關係、一休さん關係、上田秋成關係、妙好人關係、そして將門もさうです。古本屋で、この本あつたかな、なかつたかな、と迷つた末に買つてしまふこと多々。まあ、メモつとかないのがいけないのですが、突然目の前に現れますからね、迷ふことしきり。それでゐて、買はないでゐて、やはり持つてゐなかつたと分つたときの無念さ。これは餘人にはお分かりがないことかも知れません。後ろ髪をつかみそこねたら、二度と手に入らないと覺悟しなければならないからです。やはり、無駄になつたとしても購入すべきなんですね。

 

先日は、“日本の古本屋”で、探した本が西秋書店にあつたので注文したところ、代金前拂ひで、しかも送料がかかりますので、それではと、さう、例の築土神社を訪ねるついでに立ち寄つて、受け取りに行きました。さうすれば本の代金だけですみます。ところが、實際に手に取つてみたら、すでに手元にある本だといふことが分かつたのであります。危ふく買つてしまふところでした。 

事然樣にして、資料(史料)集めも手間と暇、それにお小遣ひがかかるのであります。が、知的といふか、彌次馬的といふか、好奇心や關心が滿たされる快感にくらべたら安いものであります。はい。 

 

さて、今日は、滝沢解著 『空也と将門』 をどうにか讀み終はらせました。はじめははらはら、期待をもたせましたが、讀み進むにつれて、話が廣がりすぎて、まとめて理解するには散漫になりかけましたが、それでも、著者の訴へたいことは分かつてきました。

 

その一つめは、將門と空也の關係ですが、それは、將門が滅ぼされたあとの殘党とされた人々を、空也が、念佛衆に加へることによつて救つたといふことです。 

しかし、そのためには、空也の念佛に救はれた、朱雀天皇の母、穏子の理解と助けがあつたのでした。 

「平将門滅亡の後其群臣儘く罪科に処せられんとす。空也上人之を憐み奏上相成、勅許之を貰受、御教化の上有髪僧形のまま門下末流として諸道に分置せらる。其数凡三万七千・・・・」。三萬七千人ですよ!

 

また、將門の宿敵、從兄弟でもあり、子孫に平盛をもうけることになる、平貞盛の出世はめざましいものがあつたわけですけれど、本書によると、この貞盛が、「空也の衣鉢を継ぎ空也堂の第二代住職におさまっている」 といふのであります! 

といふことは、念佛が廣まつたのは、將門が滅んだからであり、しかも、穏子による「禁裏内極楽院」によつて、「天武天皇いらい君臨してきた最大の悪法 『僧尼令』 の息を止めた・・。藤原の栄光は、女帝穏子によって再び息を吹きかえしたが、公家仏教は将門とともに死んだ」。

 

とまあ、将門さんもご存じあるめい、といつたところですが、將門も空也も歴史を作つた人物にまちがひありません。 

さあ、こうなると、將門さんの史跡はもちろんですけれど、今も存在する、空也上人開山の念佛道場 「空也堂極樂院」 を是非とも訪ねたいと思ひました。 

さういへば、この本も、ダブつて購入してしまつた一册でありました。 

 

今日の寫眞・・「空也堂極楽院」の寫眞と、ますますなまめかしいココ。