十二月四日(日)庚申(舊十一月六日 晴

 

今日の讀書・・滝沢解著 『空也と将門』(春秋社)、さらに繼讀。中身が濃いといふか深いといふか、場面があちこち、門と空也にまたがつてゐるので、どうなるのやらと思つてゐたところ、やつと手がかりがつかめました。以下の文面です。 

 

「後世、室町時代に編纂された 『尊卑分脈』 などは(將門の)字(あざな)を 『滝口小二郎』 とし、二十代半ばに官牧地 『相馬御厨』 の下司(げす)として帰郷したかの記事があるが地元軽視もはなはだしい。十七、八歳で国を見捨てて滝口武者になり、ろくな官位にも登用されずに郷里の御料牧場の木っ端役人を仰せつかって引退ってくるような男を地元が頭領(とっつぁん)と呼んで慕うだろうか。そんな男が親族と争っても幾千万の兵が黙って従うだろうか? そこまで民衆は愚かだったというのだろうか? 

ここにもあの空也伝説と同類の 『官尊民卑』 の日本史が流れている。両人を権力下に組み入れれば入れるほど卑小でつまらない人物になり、彼らの殺しも念仏も旧来通り不透明なまま。それがなぜ次代の源平合戦の序曲となり、民衆浄土教の基礎になりえたのか、依然あいまいなままになってしまうのだ。 

空也が生涯を通して一介の沙弥であったように、將門も生涯無位無官の相馬小次郎だった。この視点から歴史をゆるがす 『將門の乱』 とはそもそも何事をさすのか、またそこに従来一顧だにされていない念仏者がいかに関わったのか逐一洗い直していくとしよう。」 

 

どうです。身震ひ、といふか武者震ひがしてなりませんでした! 先が樂しみです。 

その他、今日も、引つ張り出してきた本の中から、手つ取り早く讀んでみました。

一、樋口清之著 『秘密の日本史』(そのうちの「2章“英雄伝説”の虚と実 2逆臣平将門がなぜ、民衆の英雄なのか」・祥伝社黄金文庫) 

二、樋口清之著 『うめぼし博士の 逆・日本史 貴族の時代編』(そのうちの「第一章 藤原一族が平安京に君臨した秘密 ④意外、公地公民制で藤原氏は繁栄した」・祥伝社黄金文庫) 

三、永井路子著 「平将門 叛逆児の亡魂」(『悪霊列伝』所収・角川文庫) 

 

こんどは銀座で展示會を開くといふ弟が來て泊まつていきました。弟は、毎月友人知人とともに山登りをしてゐる、そのリーダー役ですので、けつこう氣をつかふといふか、念入りに調べてから出かけると言ひます。その弟が、先日のぼくたちの尾瀨紀行をみて、たいへん無謀だつたと、叱らんばかりに語るのです。もつと早くに歩きはじめるべきだつたとか、人がまだ見られるうちに下山すべきで、人のゐなくなつた山のなかで、もしぼくが捻挫とか、或いは動けなくなつたら、すぐ、「老人二名、尾瀨で遭難!」 となることは目に見えてゐるといふのです。 

まあ、言ひかへす言葉がみつかりませんでした。たしかに、歩き通せたのは僥倖であつて、きつと報道される多くの遭難騒ぎも、みな自分だけは大丈夫と思つての、輕い行動なのでせう。もつとも、ぼくにはもう山へ行く氣力はないので、これからはもつぱら平地の歴史紀行で滿足したいと思ひます。 

 

今日の寫眞・・くんずほぐれずのモモタとココ。それと、今日讀んだ三册。