十月廿六日(水)辛巳(舊九月廿六日 晴

 

今日の讀書・・今日も、『日本紀略』 と 『史料綜覽』 を讀みつづけました。でも、これは、ほんとうは讀書とは言ひ難いのかも知れません。過去に記録された年表の文字をただ讀み進んでゐるだけで、何が物語られてゐるのかさつぱり分からずに字面を追つてゐるだけだからです。 

ちよいとつまらないこともなくはありませんが、ぼくは、天皇や大臣たちの動静に注意しながら、「内裏有穢」や「天變物恠、世間妖言」などによつて、政務や祭りが中止になつたことや、地震や大雨や災害や天體の異變、鹿四頭が朝堂院に飛び込んできたこと、盗賊が頻繁に都を襲つたこと、今日の所は、何回も「倹約」令が出されてゐますし、實は、想像を働かせながら讀むとけつこう面白いのであります。

 

それで、今朝、ふと氣がついたのが、村上天皇がちよくちよく「朱雀院」といふところに出かけてゐることです。例へば、 

「天暦二年正月三日癸丑 天皇幸朱雀院。先拜大后。次謁太上天皇」 

これは、お正月に、朝廷儀式が一段落したところで、村上天皇が「朱雀院」を訪ね、まづ、母親(大后穏子)に新年の挨拶をし、それから兄さんの太上天皇(前朱雀天皇)に拝謁してゐる記事です。 

そこで、「朱雀院」とはどこなのかを調べてみたら、いやあ、すごい御殿だつたらしいのですが、現在は京都の町のなかに没してしまつてゐるのであります。さらに、その痕跡はないかなと調べたら、ネットで見つかりました。かつての朱雀大路(現在の千本通)の西側で、四条通と交はる北側の一帯です。現在は、「日本写真印刷株式会社」の廣大な敷地の南西角に「朱雀院跡」碑が立つてゐるだけのやうです。

 

是非訪ねてみたく思ひました。それで、また氣がついたのは、そろそろ百萬遍知恩院境内で秋の古本まつりが開かれる頃のはづですし、ついでにあちこち見學できたらいいなと思ひつつ調べたら、《京都いしぶみデータベース》といふのが見つかりました。これはたいへん便利です。 

まあ、百萬遍古本まつりをメインに、「朱雀院跡」、それに、《京都いしぶみデータベース》で發見した「賀茂齋院跡」や、『蜻蛉日記』著者の夫で時の最高權力者、藤原兼家の「東三條殿址」。それにできれば、若き飛鳥井雅有君が通つた、「小倉山莊舊址(厭離庵)」と「定家京極邸跡」などを訪ねたいと思つたのですが、恐る恐る妻にお伺ひをたてたところ、「まあ、いいんぢやないの」と氣のない返事です。でも、否定はされたわけではなささうなので、早速計畫を立てはじめました。

 

*補注・・【朱雀院】 平安時代の後院の一。嵯峨天皇以後、代々の天皇が讓位後に住んだ御所。朱雀大路の西、三條の南に八町を占めてゐた。 

 

午後から、池袋西口公園で開催中の古本まつりに行つてきました。黒川博行さんの文庫本が目に入つてしまつたので、仕方なく求めました。 

 

今日の寫眞・・古本まつり開催中の池袋西口公園と黒川博行さんの本。