二〇一六年十月廿一日(金)丙子(舊九月廿一日 薄曇り

 

〈尾瀨トンデモ紀行(二)〉

 

川野さんの話では、すでに尾瀨は紅葉の季節は過ぎてゐて、枯葉やすすきばかりかも知れませんよといふことでしたので、まあそんなもんだらうなと思ふくらゐでした。でも、バスの中から目についた紅葉を見て、期待は一擧に高まりました。 

大淸水バス停には一〇時二五分に到着。休憩所で装備を整へ、準備してきた、防寒のジャケットやレインコート、それに替への下着とシャツなどを、無駄だつたかなとふと思ひながらも、近ごろ背負つた事もないやうなだいぶ重いリュックサックをかつぎあげました。 

しかし、歩くにつれ、まはりの紅葉は目を洗ふがごとく、體に染み入るかのごとくでありまして、黄や赤やそのグラデーションの妙、これぞ紅葉のまつただなかと思へたのでありました。 

ところが、それもはじめのうちでして、歩けども歩けども登り道、だんだんと息が切れてきて、何度もたたずみ休むしまつでありました。

 

そもそも、尾瀨といつたら、大濕原を思ひ浮かべるわけでして、平坦なところを散歩氣分で歩けるのだらうとばかり思ひ込んでゐました。ところが、よく考へてみると、尾瀨沼とその濕原は、噴火によつて堰きとめられた川が水嵩をまし、湖になりそこなつた、ダメ湖なんですね。 

だからその川の流域に聳える山竝みを越えなければ入つてこれない場所なんです。どこの方面から來るにしても峠を越えなければならないといふ理屈になるわけです。 

そんな理屈は言はれてみればさうでせうけれど、すでに冬枯れたであらう荒涼とした濕原をめざしてきたのに、歩くのがこんなに苦痛に思へたことは、六十九年と八ケ月の生涯はじめてであります。よく心臟が破裂しなかつたものです。進むも地獄、退くも地獄とは、まさにこのことでした。 

 

今日の讀書・・今朝、意外と元氣に目を覺ますことができました。心臟も何ら不調を訴へることもなく、むしろ、いい感じの鼓動の状態であります。 

でも、からだが休息を欲してゐるなと感じましたので、モモタと昨日病院から歸つたばかりのココを膝に抱きながら、しかも時々居眠りをしながら、また、例の黒川博行さんの短編集を讀みふけりました。 

 

今日の寫眞・・〈尾瀨トンデモ紀行(二)〉─大淸水から三平峠まで。まづは、大淸水登山口を通り過ぎたばかりの、谿谷の美しさ。つづいて、廣葉樹林といふか、雜木林の紅葉。さらに、向かひの山。これは壓卷でした! 一ノ瀬休憩所の先、車道が終はつて山道への入口。五枚目と七枚目は、もう紅葉のことなどどうでもよくなつて、はやく峠に着きたいと、アゴをあげつつあるころ。紅葉の輝きが體に染み入つてきてゐます。六枚目は、木道といふのでせうか、腐つた木をどかして工事をしてゐる方々を何人も見かけました。今日のさいごは、尾根に到着し、いきなり針葉樹林に入つた、その木道。でも、三平峠(尾瀨峠)はまだ先でした。