十月十九日(水)甲戌(舊九月十九日 晴

 

午後、再び動物病院の先生に來ていただき、モモタの伸びた爪を切つてもらひ、また、ココを不妊手術のためにつれて行つていただきました。 

ココが我が家に來てからはや四ケ月。もう手術に耐えられさうです。もちろん、手放したりせず、これからもぼくの書齋で、モモタと仲よく暮らしてもらふつもりです。 

 

今日の讀書・・繁田信一著 『殴り合う貴族たち』(角川ソフィア文庫) をつづけて讀み進みました。面白いだけでなく、引用された、『小右記』 の原文を確認しながら讀むこともできるので、あれこれ勉強の幅がひろがります。 

例へば、次の場面は貴族たちの暴力沙汰と直接關係はありませんが、併讀してゐる、『蜻蛉日記』 の著者、道綱の母と呼ばれるその母を持ち、父に藤原兼家を持つその道綱ご本人を評した言葉が出てきます。そもそも、この道綱は母親に甘やかされたのでせうか、仕事のできない無能の人だつたやうです。 

『小右記』 の、長和二年(一〇一三年)二月三日の記録には、道綱が與へられた政務を放棄したのを聞いた實資は次のやうに書いてゐます。

 

「抑長秋不勤公役、既爲例事、素尸位、若是謂歟」

 

 「素尸位」とは、「尸位素餐(しいそさん)」のことで、才能がないのに高位にをり、いたずらに禄を食(は)むことを言ひます。あるいは、官職にありながら職責を果たさないことですが、まあ、「ムダ飯食いというのは、あれのことか」と後ろ指をさされる、そのやうな人だつたやうです。 

母親が、道綱の父親(藤原兼家)のことでだいぶ惱んでゐたわけですが、そんな口を開けば愚痴や嘆息、からだから漂ふ憤懣の炎。そんな状態にある母親を毎日毎日見てゐるとかうなるものなのかと、改めて敎へられました。

ただ、母親に似て、歌はうまかつたやうです。 

 

今日の寫眞・・今日の切り抜きと、ココ。かはいさうだけれども、子どもが出來ないやうにしなければなりません。